プロジェクト・ヘイル・メアリー

『火星の人』のアンディ・ウィアーの最新作。
今度の主人公の所在地は火星よりもはるかに遠いくじら座の恒星系。
地球では太陽の光量が指数関数的に減少するという現象が観測され、氷河期へのカウントダウンが始まっていた。その解決策を探すため、主人公は別の恒星系へと放り出されたのである(アメフトの試合終盤の神頼みパスをヘイル・メアリー・パスというとのこと)。

太陽が元気をなくす理由であったり、人類が恒星間飛行を成し遂げるテクノロジーであったり、主人公が直面する課題であったり対策であったりへの科学的「屁理屈」は、火星に取り残された人間が生還するというフィクションをそれらしくみせた『火星の人』と同様に読んでいて楽しい。
『火星の人』と違うのはバディものであるということ。アンモニアの匂いを漂わせたクモ型の重金属異星生物なんて、邪悪な敵としての要素しかないのに、主人公とのコミュニケーションの様子を見ているうちに愛らしく感じてしまう。しわしわで、ぱっと見気持ちが悪いE.T.に対して次第に愛着を持っていくような感じ。

ライアン・ゴズリング主演で映画化進行中とのことなので、公開されるのが楽しみ。アクションの要素が薄かった『火星の人』に比べて、ダイナミックに状況が変わるから、『オデッセイ』よりも無理なく映画にできそう。

FIRE 最強の早期リタイア術 | 貯金と複利の勉強

最近聞くようになったFIREの指南書。

ベースにあるのは資産の4パーセントの資金で1年間の生活費を賄えれば、貯蓄が30年以上持続する可能性が95パーセントあるという論文。
例えば、毎年の生活費が400万円であるならば、1億円の資産があれば利回りやら何やらで平均して4%=400万円を毎年受け取れるはずだから、生活費とバランスがとれる。

その資産を築くために著者の夫婦が考えたこと、実行したことがこの本には書かれている。
とにかく支出を抑える、貯金は株と債券に投資する、マイホームは借金になるので買わない、などなど。
読んでいると自分でもできそうな気がしてくるけれど、序章の欄外に載っているURLからダウンロードできる付録を見ると、けっこう難易度が高いのではと。
付録には著者夫婦が働き始めた2006年から、仕事を辞めた2014年までの資産状況の詳細が書かれているのだけれど、例えば2007年なんかは夫婦の税引き後収入が合わせて125,000ドル。
1ドル=100円として考えると、夫婦の収入は1,250万円、ひとりあたり625万円。新卒2年目で税引き後に600万円ももらえる人材が日本にどれほどいるだろうか。
いや、著者夫婦はカナダの人なので、もしかしたらカナダドルなのかもしれない。その場合、1カナダドル=80円とすると、夫婦の収入は1,000万円、ひとりあたり500万円。優秀な人材であることに変わりはない。
この戦略の肝はなるべく多くの資金を投資に回して複利の効果で増やしていくということなので、この夫婦の優秀さが頭の片隅にないと、同じようにはいかないと思う。

とはいえ、支出を抑えて投資に回すことの重要性を教えてくれるし、リーマンショックを乗り越えた上でFIREできるくらいの資産を作っているのは事実なわけで、FIREできるかどうかは別として資産形成の実例として捉えるぶんには参考になるのでは。

実力も運のうち | 実力なんてものは存在しない

『ハーバード白熱教室』『これからの「正義」の話をしよう』のマイケル・サンデルが能力主義と格差について語る。

貴族を打ち倒して成立した民主主義。
階級社会がなくなったことで平等な社会が実現されるはずだったのに、どういうわけか格差は広まるばかり。民主主義の盟主たるアメリカで、大統領選挙のたびに格差がクローズアップされ、果ては選挙が終わっても遺恨を残している様子を見るに、格差によりため込まれた不満の限界は近いように思える。

なぜ格差は広まってしまったのか。
数式的な側面から切り込んだのがピケティの『21世紀の資本』であるなら、この本でマイケル・サンデルは道徳的に説く。

彼が問題視するのは能力主義。
「努力と才能で、人は誰でも成功できる」という能力主義の教義が、格差による分断を助長しているという。
努力も才能も能力主義のもとでは、まるで個人のもののように扱われる。特に努力のほうは、個人でコントロールできるものであり、才能がなくても努力で補えるというふうにとりわけ神聖視されている。
けれど、本当にそれが正しいのだろうか。
才能をもって生まれ、努力のできる環境が用意されているかどうかは、本人にはどうにもできない、くじ引きのようなものではないか。それは貴族に生まれるかどうかで運命が別れた階級社会と同じではないか。

能力主義で生まれる格差というのは、階級社会よりもなおタチが悪い。
階級社会では下位階級の人たちは自分の人生がうまくいかなくても、生まれのせいにすることができた。
上位階級の人たちは自分が高い地位にいるのは、生まれのおかげだと知っていた。実力でみたら、自分より優れている人間は何人もいるとわかっていた。
逆説的だけれど、下位階級が卑下することなく、上位階級も謙虚でいられたのが階級社会だった。

一方で能力主義のもとでは、成果はすべて自分のせい。
人生がうまくいかなくなると、それは自己責任。
人生がうまくいったら、私の努力のおかげ。敗残者に対しては努力が足りなかったからでしょうと突き放して当然。そこに歩み寄りはない。
人生うまくいくかいかないかは、突き詰めると運でしかないのに。

そういった能力主義の「勘違い」のもとで、格差と分断が進んでいる。
自分の人生の何か一つでも変わっていたら、今と違う場所にいたと想像できる謙虚さが今の能力主義には足りていない。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』ではたった一発のパンチでジョージとビフの関係性は逆転するわけで。
DNAのたった一塩基でも別のものに置き換わっていたら、別人になっていたわけで。
どれだけ頑張ったところで自分の人生は偶然の産物だということを身に沁みて感じていないかぎり、格差をなくすための制度を導入したところで、何かしらの遺恨を残すだけなのだろうなと。

人類とイノベーション | 自由主義のイノベーション論

『繁栄』のマット・リドレーがイノベーションについて語る。

イノベーションを生むにはどうしたらいいか?
長年繰り返されてきた問いに対して、本書はこう答える。
悩んでいる暇があるなら手を動かせ。

蒸気機関にせよ、飛行機にせよ、何にせよ、世界を変えたイノベーションがなぜ生まれたのか、誰が発明したのかいうのははっきりしない。
ワットやライト兄弟といった有名どころはいるけれど、彼らはそれ以前の先人たちの知恵を集約したに過ぎず、彼らだけで偉業を成し遂げたわけではない。
ましてそれらが大きなお金になるかどうかなんてことは、そのイノベーションに関わったほとんどの人間には二の次で、彼らはひたすらにアイデアを具現化しようとしていただけ。

どうしたらイノベーションが生まれるかなんて問いはナンセンスで、イノベーションのための規則を整えるとか、知財の保護に力を入れるなんてことは本末転倒。
例えば原発では、安全(とされる)規則を守るために、現場の気づきで生まれるはずのボトムアップの改善はできない(してはならない)わけで。規則を守るためにもリソースは必要で、そうなると利益を確保するために根本的な策は打てずに、破滅的な事故につながったり。
例えば特許を保護するために、世界中の企業が莫大な資金をつぎこんでいるわけだけれど、その資金の一部でも「無駄」な行為につぎ込んだら、イノベーションの萌芽につながらないかとか。アイデアがつがうことで新しい技術が生まれると主張するマット・リドレーからすると、今の知的財産保護は行きすぎているように映っているようす。

  • イノベーションは結果であって、目的にしてはならない
  • 行き過ぎた保護主義は停滞を生む
    という2点は大いに共感できるところ。

三体 死神永生 | 劉慈欣の想像力についていけるか

『三体』三部作の最終巻。
太陽系と三体世界のつばぜり合いを描いた二作目の『黒暗森林』よりもさらにスケールアップして、物語は全宇宙へと広がる。
規模は広がったけれど、それが『黒暗森林』よりもおもしろいかというと……。
自分は『黒暗森林』のほうが好きかなと。劉慈欣の想像力についていけていないのだ。

数万年の時の流れや、次元攻撃を駆使する異星(異次元?)文明と言われても、私の矮小な脳では処理能力不足。なぜ人類が近くできる三次元以外の次元は折りたたまれているのか、なぜ光速に限界があるのかという疑問に、宇宙文明間の戦争を絡めたのはおもしろかったけれど、細かい描写を頭の中にきちんと思い浮かべることができた自信はない。

物語の構造にしても、大逆転勝利で終わった『黒暗森林』に対してこの『死神永生』は無力感が残ったまま終わる。そりゃ次元を操る相手に対して、地球や太陽を離れることがやっとの人類ができることなんてないわけで、したがってカタルシスは少ない。

否定的なことを書いてしまったけれど、そこらのSFより圧倒的におもしろいのは間違いない。
自分の想像力には『黒暗森林』がちょうど良く、『死神永生』は外伝のような感じを受けてしまったというだけで。

BAD BLOOD シリコンバレー最大の捏造スキャンダル 全真相 | シリコンバレーの信用創造

たった一滴の血液で、すべての病気がわかる。
そう言ったのはベンチャー企業のセラノス。革新的な技術を生み出した創業者のエリザベス・ホームズは第二のスティーブ・ジョブズともてはやされた。
期待が金を呼び、時価総額は9000億円にまで膨らんだ。
けれど実態はといえば、そんな技術はどこにもなく、投資家どころか医療規制さえも誤魔化すために数々の隠蔽工作が行われていた。
創業からそんな暗部が明るみに出るまでの10年ていどのあいだ、何が行われていたのか。第一報をスクープしたウォールストリートジャーナルの記者が語る。

セラノスのねつ造の話を聞く前に、セラノスを持ち上げる記事は見たことがあって、ブロンドの髪に青い瞳のエリザベス・ホームズが、ジョブズをリスペクトした黒いタートルネックを着てこちらを見ている写真が印象に残っている。2014年の日本語版Wired vol.12の記事だ。

wired.jp

ウォールストリートジャーナルの記事が2015年だから、ここから1年で転落したことになる。
この『BAD BLOOD』によると、セラノスの技術は創業当初から「空っぽ」だそうで、ことの顛末を知ってからこのインタビュー記事を読むと、すべてが白々しく見える。
セラノスのような空っぽの企業になぜ次々と資金が舞い込んだのか。
投資家に対して隠蔽工作をしていたのは事実だけれど、この本を読む限り少し疑ってかかればボロが出てくるような代物で、それが理由とは思えない。
いちばんの理由は、名だたる大物たちが次々とエリザベス・ホームズに口説き落とされていったことだろう。アメリカ医学生物工学会の創設者でスタンフォード大学の有名教授だったチャニング・ロバートソン、レーガン政権で国務長官を務めたジョージ・シュルツ、アメリカ中央軍司令官(のちにトランプ政権国防長官)のジェームズ・マティスなどなど。 日本人の自分でさえも聞いたことのあるようなビッグネームたちが取締役会に名を連ねている企業を疑うことは難かっただろう。そんな信用が信用を生むバブルの中で、セラノスの企業価値は実態とはほど遠く膨張していった。

日々の業務に追われる社員たちはセラノスがおかしいことに気づいていたが、機密情報のお題目のもと各担当者がアクセスできる情報は限られていたので、セラノスの全体像が見えない。
退職する社員は秘密保持契約書にサインをさせられ、外部にセラノスのことを話せば訴えると脅される。 内の目も外の目も働かない中で腐っていくセラノス。

その実態が明らかになったのは、セラノスと秘密保持契約があってもなお、倫理観を持つ社員たちがウォール・ストリート・ジャーナルの記者に情報提供をしたから。
セラノスの製品の検査結果はアテにならず、他社製品を改造して使っている。その他社製品にしても「一滴の血液」という謳い文句を従うために検体をありないほど薄めて使っている。校正データに異常があってもデータを恣意的に切り捨てて装置を稼働。試薬の期限切れは当たり前。そんな状態で医療規制の監査が通るはずがなく、いくつもの隠蔽工作を行っているという。
そんな信じられない行為の数々がこの本では描かれている。
最悪なのはこの状況で短期間とはいえ、血液検査サービスが提供されていたことだ。検査データが間違っていれば、疾患の見逃しにつながるし、薬の投与量にだって影響する。最悪、人の命が失われる。
その状況を憂えて、情報提供者たちは危険を顧みず、記者の取材に協力した。
最終的には記事が発行されたことで、セラノスは業務停止に追い込まれるが、そのまま稼働を続けていたらと思うと恐ろしい。

「一滴の血液からすべての病気がわかる」という理想を語るのはいいとして、エリザベス・ホームズや彼女を取り巻く重鎮に、それを実現するのに必要なテクノロジーや医療規制についての知識があったのか、この本を読む限りでは非常に怪しい。

「彼らがこの問題を解決できたと言われるよりも、27世紀からタイムマシンで戻ってきたと言われた方がまだ信じられるな」 p297

そんな専門家の言葉が表す通りで技術としては夢物語に過ぎるし、複雑で石橋を叩きまくるような医療規制に対応するにはあまりにもザルな体制と短期間のスケジュール。
IT系のベンチャー企業であれば、身の丈に合わない理想を豪語して、バグを残しつつも販売するということもできるけれど、医療でそれは許されない。バグが残っていては、最悪人が死ぬのだから。

セラノスという稀代の詐欺企業と、金余りの経済、さらには第二のスティーブ・ジョブズを願う背景が重なった特異な例として片付けたいけれど、今は猫も杓子もヘルスケアというフロンティアを目指す時代。
医療技術も医療規制も十分に理解していない企業(ベンチャーに限らず大企業も)がその分野に進出する機会は増えているし、投資家だってそれを望んでいる。そのくせ真贋を見抜く人材は不足している。
第二のセラノスが生まれる土壌は整っているように思う。

遺伝子 | 多様性と選択の問題

デビュー作『がん‐4000年の歴史‐』でピューリッツァー賞を受賞したシッダールタ・ムカジーが遺伝子について語る。

内容は遺伝の概念を提唱したアリストテレスから、ゲノム編集のCRISPR-Cas9までと幅広い。
メンデルの遺伝の法則、ダーウィンの種の起源、ワトソンとクリックのDNAの二重らせん構造などの重大発見はページを割いてストーリーとして語られていてドラマチックでおもしろい。
メンデルが試験に落ち続けていたなんて知らなかったし、遺伝の法則が30年も忘れ去られていたなんて知らなかった。
ワトソンとクリックが二重らせん構造を発見するまで、模型で試行錯誤をしていたことも知らなかった。二人が二重らせんの前に立っている写真をよく見るけれど、あの模型は後付けで作った象徴ではなくて、実際に検討に使っていたものだったのかと知ると写真を見る目も変わる。

遺伝子にまつわる歴史はそんな血が湧き立つようなものばかりではなくて、優生学のように背筋が凍るような話もある。遺伝の概念を出発点に、優秀な人間、果ては民族だけを残そうとしたのがナチスであり、同じころにはアメリカでもそういった純化の考え方は広まっていた。
それから1世紀が経とうとしている今、人類はより遺伝子を理解しているし、遺伝子を操作する技術も持っていて、あしもとでは新優生学とでもいうものが進んでいる。着床前診断や出生前診断は「正常な」遺伝子を「選択」できるし、CRISPR-Cas9のようなゲノム編集技術で「優れた」遺伝子を「与える」ことができるようになるのも遠い未来の話ではないだろう。
倫理的な問題もあるけれど、もっと怖いのはその「正常な」遺伝子や「優れた」遺伝子を判断するのは人間であること。
遺伝子を紐解いてみれば、DNAの塩基配列ですべてが決まっているわけではなくて、環境や偶然に応じて各遺伝特性の発現量は調整されている。しかもそれぞれの遺伝特性は複雑に絡み合っているから、何か1つを変えたところで望みの結果が得られるとは限らない。それは人間の理解の及ぶ範囲ではない。
AIや量子コンピュータを使うことで遺伝子の複雑な組み合わせ最適化問題を解くことができるようになる日が来るかもしれないけれど、なぜ遺伝子がこのような複雑なシステムになっているかと考えると、それも怖い。この複雑性はたぶん、環境の変化に対応するための安全装置であって、それが人間やAIに思いつくような「正常さ」や「優秀さ」によって単純化されるようであれば、結局のところ「弱い」人間しかいなくなるのではないか。

著者のムカジーは遺伝性の精神疾患を持つ親族がいて、そのエピソードがところどころに挟まれている。新優生学によって救われるものと切り捨てられるものをいちばん意識しているのは著者自身。 遺伝子編集が可能であるならば、人は倫理を超えていずれ手を出すのだろう。そのとき、遺伝子プールの多様性を保ちつつ、 有効な遺伝子を選択するなんて芸当が人間にできるのか。

さよならの言い方なんて知らない。 5 |  胡蝶の夢の夢

架見崎シリーズ第5弾はこれまでの世界をひっくり返す衝撃の内容。
胡蝶の夢は想定していたけれど、夢の夢とは思わなんだ。
エヴァのQを初めて劇場で見たときの感覚に近いけれど、この展開は最初から考えていたのでしょうね。
本文中の伏線はもちろんだけれど、今までの表紙だけを見ても、作中の舞台となる荒廃した雰囲気はなかった。この現実を写したような普通の風景。4巻の表紙にある特徴的な形の建物なんか、みなとみらいのインターコンチネンタルホテルでしょう。

さよならの言い方なんて知らない。4(新潮文庫)

さよならの言い方なんて知らない。4(新潮文庫)

  • 作者:河野裕
  • 発売日: 2020/09/29
  • メディア: Kindle版

www.jalan.net

そして、どの表紙にもさりげなく登場しているSONYのWH-1000X M4

のような大きなヘッドホン。5巻で初めて登場するこのアイテムが、今までずっと表紙に映り込んでいるわけで、唐突な5巻の展開は初めから予定されていたとわかる。

とはいえ、いくら事前に入念に計画されていた展開だとしても、胡蝶の夢のそのまた夢的な展開は劇薬なわけで……。
まあ、それが「生」と「物語」をテーマにするこのシリーズにとって必要な重荷なのかもしれないけれど。
今後どう話が転がっていくのか、全く予想ができなくなった5巻。

2030年:すべてが「加速」する世界に備えよ | 今後10年を生き抜くには

2040年の未来予測

2040年の未来予測

  • 作者:成毛 眞
  • 発売日: 2021/01/01
  • メディア: Kindle版

2050年の技術 英『エコノミスト』誌は予測する

2050年の技術 英『エコノミスト』誌は予測する

2060 未来創造の白地図 ~人類史上最高にエキサイティングな冒険が始まる

2060 未来創造の白地図 ~人類史上最高にエキサイティングな冒険が始まる

  • 作者:川口 伸明
  • 発売日: 2020/03/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

2030年、2040年、2050年、2060年……。
未来を予測する本は色々と出ているけれど、コロナで一年先さえ見通せなくなった今、かろうじて見えるのは10年先が限界かと思って2030年を手に取る。

なぜ今後10年で世界が加速するのかといえば、技術が「コンバージェンス(融合)」していくからだと説く。その中心にいるのはAIをはじめとするデジタル化。
この30年近く、シリコンベースのデジタルテクノロジーだけで人類はここまで加速したのだから、
ここに計算量を爆発的に高めるための量子コンピュータ、
それに後押しされた全分子シミュレーション、
シミュレーションを具現化するための3Dプリンティングやナノテクノロジー、バイオテクノロジーが加わることで、この30年以上に想像のつかない速度で世界は進むことは十分にありえそう。 テクノロジーが「つがう」ことで世界は進歩してきたとマット・リドレーが『繁栄』の中で語っているわけで、次の10年はその集大成になるのでは。

影響受ける分野は買い物、広告、エンタメ、教育、医療、保険、金融、不動産、食料など幅広く、影響を受けない分野などないといったほうが早いけれど、方向性としてはAIと増大する計算量を背景に、よりきめ細かく、動的なサービスが生まれていくと理解した。
とても人類のリソースでは扱いきれない情報量。とはいえ、AIだけで処理をできるのかといえば、AIを管理する人間も必要なわけで、次の10年で生まれる新しい職業はそのあたりにあるのではないかと。

オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る | 異色の天才の言葉

コロナ対応で脚光を浴びた台湾のデジタル担当閣僚オードリー・タンへのインタビューを元にした本。
IQ180のプログラマーで、中学校中退で、トランスジェンダーで、35歳で閣僚に就任という異色の経歴を持つ彼女(今は「無性」とのことだけれど、男性から女性への移行期のようなので)が、飾り気のない言葉でデジタルについて語る。

ITの専門家らしく、難しい言葉が並ぶのだろうなと覚悟していたけれど、そんなことはなかった。平易な言葉の中に、『ドラえもん』や『エヴァンゲリオン』、『攻殻機動隊』などのジャパニーズカルチャーの影響も垣間見えて、親しみを感じる(日本の出版社に向けたインタビューというわけでもないだろう)。

専門家というより思想家で、デジタルは世界をよくするためのツールだとういう考え方が徹底している。コロナ対策でも高齢者にデジタル技術を押し付けるようなことはせず、どうすれば高齢者でも安心して使ってもらえるかとシステムを調整していったそうで、だから台湾はあれだけの成功が収められたのだなと。
それには急場しのぎのデジタルだけではなくて、日頃から価値観や情報を共有できている台湾のシステムも寄与していそうだけれど。

基礎的な知識を持っている人が多ければ多いほど、情報をリマインド(再確認)し、お互いに意見を出し合ったり、対策を考えることができます。逆に、少数の人のみが高度な科学知識を持っているだけの状態では、何が起こっているか理解していない人が多いということです。想像してみてください。もし前代未聞の出来事が起きたときに、誰にも相談できず、あなただけに決定権が託されたとしたら、果たして的確な判断を下せるでしょうか。このことからも情報の共有がいかに大切なものなのかがわかると思います。 p17

そんな彼女はAIについても同様に単なるツールだと考えていて、普及したところでそれを扱う人が必要だろうと語る。企業がAIを導入したがる一番の理由は人件費の削減だろうけれど、削減される労働がある一方で、新しい仕事も生まれるだろうと。
彼女の話を聞いて、コスト削減の話ばかり出てくる日本の組織に未来はあるのだろうかと心配になるしだい。