遺伝子 | 多様性と選択の問題

デビュー作『がん‐4000年の歴史‐』でピューリッツァー賞を受賞したシッダールタ・ムカジーが遺伝子について語る。

内容は遺伝の概念を提唱したアリストテレスから、ゲノム編集のCRISPR-Cas9までと幅広い。
メンデルの遺伝の法則、ダーウィンの種の起源、ワトソンとクリックのDNAの二重らせん構造などの重大発見はページを割いてストーリーとして語られていてドラマチックでおもしろい。
メンデルが試験に落ち続けていたなんて知らなかったし、遺伝の法則が30年も忘れ去られていたなんて知らなかった。
ワトソンとクリックが二重らせん構造を発見するまで、模型で試行錯誤をしていたことも知らなかった。二人が二重らせんの前に立っている写真をよく見るけれど、あの模型は後付けで作った象徴ではなくて、実際に検討に使っていたものだったのかと知ると写真を見る目も変わる。

遺伝子にまつわる歴史はそんな血が湧き立つようなものばかりではなくて、優生学のように背筋が凍るような話もある。遺伝の概念を出発点に、優秀な人間、果ては民族だけを残そうとしたのがナチスであり、同じころにはアメリカでもそういった純化の考え方は広まっていた。
それから1世紀が経とうとしている今、人類はより遺伝子を理解しているし、遺伝子を操作する技術も持っていて、あしもとでは新優生学とでもいうものが進んでいる。着床前診断や出生前診断は「正常な」遺伝子を「選択」できるし、CRISPR-Cas9のようなゲノム編集技術で「優れた」遺伝子を「与える」ことができるようになるのも遠い未来の話ではないだろう。
倫理的な問題もあるけれど、もっと怖いのはその「正常な」遺伝子や「優れた」遺伝子を判断するのは人間であること。
遺伝子を紐解いてみれば、DNAの塩基配列ですべてが決まっているわけではなくて、環境や偶然に応じて各遺伝特性の発現量は調整されている。しかもそれぞれの遺伝特性は複雑に絡み合っているから、何か1つを変えたところで望みの結果が得られるとは限らない。それは人間の理解の及ぶ範囲ではない。
AIや量子コンピュータを使うことで遺伝子の複雑な組み合わせ最適化問題を解くことができるようになる日が来るかもしれないけれど、なぜ遺伝子がこのような複雑なシステムになっているかと考えると、それも怖い。この複雑性はたぶん、環境の変化に対応するための安全装置であって、それが人間やAIに思いつくような「正常さ」や「優秀さ」によって単純化されるようであれば、結局のところ「弱い」人間しかいなくなるのではないか。

著者のムカジーは遺伝性の精神疾患を持つ親族がいて、そのエピソードがところどころに挟まれている。新優生学によって救われるものと切り捨てられるものをいちばん意識しているのは著者自身。 遺伝子編集が可能であるならば、人は倫理を超えていずれ手を出すのだろう。そのとき、遺伝子プールの多様性を保ちつつ、 有効な遺伝子を選択するなんて芸当が人間にできるのか。