『沈黙のパレード』レビュー

ガリレオシリーズ劇場版3作目。
時が経つのは早いもので、前作の『真夏の方程式』から9年もの間が空いている。にも関わらず、変わらない感じで湯川を演じる福山雅治はすごいな、と。まあ、エンドロールで流れるテレビドラマ第1シーズンからの映像を見ると、変化は当然あるんだけど。

商店街の歌合戦で並木佐織が歌うところから始まるオープニングに引き込まれる。どれだけこの少女が商店街の人びとに愛されて育てられたのか、観客にとってわかりやすいオープニング。
うがった見方をすると、このオープニングが鮮やかすぎて、後に事件の一端が少しでも垣間見えると、これは関係者全員参加のオリエント急行型のストーリーなのだなとわかってしまう。すべての推理小説のトリックはアガサ・クリスティに辿り着くなんて言われているくらいなので、それは仕方ないでしょう。

要所でのコメディとか決め台詞とか、前作の『真夏の方程式』以上のガリレオっぽさも復活してはいるのだけれど、私が無邪気な学生だった10年以上前と比べて変な知識を身につけてしまったせいか、どうにも昔のようにはのれなかった。いくら湯川学とはいえ、教授になったからって、こんな工場の建屋をまるごと使って何十人も関わるような 実験の費用をどこから捻出するんだとか、そういったどうでもいいことが頭に引っかかってしまい…。

液体窒素をクーラーの代わりに使ってはいけません、という理系の学生なら必ず注意される教科書的な方法が殺害方法なのでSF的な驚きは少なくて、ならば見せ場はトリックなんだけれど前述の通りオリエント急行だし、こんな複雑な計画を練っているうちに怒りなんて収まってしまうんじゃないかと思ってしまうし。
みなの憎悪を一心に受けた、加害者であり被害者である蓮沼寛一が警察から逃れた手段が「沈黙」だなんて、なんか警察が間抜けすぎる気が。「これだから自白に頼る警察は…」なんて説教が聞こえてきそう。

福山雅治と柴咲コウのガリレオが戻ってきたという懐かしさはあるけれど、それだけかなと。