『老神介護』レビュー | 科学と資本主義の行き着く先は

『三体』の劉慈欣の短編集。
名前からして皮肉が効いてて良いですね。
表題作の『老人介護』もいいけれど、いちばんおもしろかったのはその後日譚になる『扶養人類』。

地球外文明がやってきて、地球を植民地化しようとする中で、殺し屋である主人公は大富豪たちから浮浪者の始末を頼まれる。大富豪にとっては浮浪者なんて気にもかけない存在であるはずなのになぜそんな依頼が?
どうやら地球外文明は人類を住民調査した上で、最低限度の生活を保証して植民地としようとしているらしい。最低限度の生活が浮浪者になってしまっては困るので、大富豪たちは慌てて事態を打開しようとしている。

大富豪たちの勝手さになんだかなあと思いつつ、浮浪者に合わせて最低限度の生活を見定めようとする地球外文明の行動は現実の社会保障を見ているようで笑えない。健康で文化的な最低限度の生活を保証するはずが、それで生活できているのだからいいじゃんと現状維持にとどまり、生活水準が上がらず、結果として下のみならず上の発展にもブレーキがかかる、みたいなそんな悲哀を感じる。

地球外文明たちが地球にやってきた経緯もおもしろい。彼らも浮浪者で、母星に居場所がなくなったから地球に来ざるを得なかった。
彼らの母星でも地球同様に資本主義が発達し、高等教育を受けられる者とそうでない者の間に格差が広がっていた。教育がその格差を決めているうちは、下層にも上層に上がるチャンスがあったのでまだ良かったけれど、そのうち脳にコンピュータを埋め込むことができるようになって、それが社会の階層を決定的に決めることになった。コンピュータを埋め込む費用を用意できるか、インストールするソフトウェアを買えるかは、完全に資本に支配され、持たざる層にはその資本を工面できるチャンスは永遠にやって来ない。そういったお金のかかる「超等教育」の有無により社会階層が決まることになり、貧富の差は大きく拡大していき、取り返しのつかないところまでいってしまったのだと。

高性能なコンピュータと、膨大なデータに寄り、人類を凌駕する人工知能が生まれるなんていうシンギュラリティは、私にはいまいちピンときていないのですが、この『扶養人類』で語られるようにあるテクノロジーが資本主義と絡み合って、文明社会が大きく変容するという変曲点は大いにあり得そうな気がする(というより、いままで何度も通ってきた道か)。
資本の集中は完全にピケティの『21世紀の資本』なのですが、『21世紀の資本』が刊行されたのは2013年なんですよね。それに対してこの『扶養人類』の初出は2005年。
劉慈欣の洞察に驚くとともに、15年以上前の小説に今さら驚いている自分を恥ずかしく思う次第。