『コード・ブレーカー』感想 | 生命の神秘を人類の道具に

人類が手に入れたゲノム編集技術について、クリスパー・キャス9とそれを開発して2020年にノーベル賞を受賞したジェニファー・ダウドナを中心に据えたドキュメンタリー。著者は『スティーブ・ジョブズ』のウォルター・アイザックソン。

遺伝子を書きかえることができるクリスパーにつきまとう倫理の問題について、多くのページが割かれている。
クリスパーによるゲノム編集を子に行うことはどこまで倫理的に許されるのか、というのが話の中心なのだけれど、こういうとき、人間がすべてを見通していることが前提となっているように感じるのは気のせいだろうか。
倫理は時代が変われば変質していくものだと思うから、そこを議論しても仕方がないような。それよりも、良かれと思って取り除いたり付け足したりした遺伝子が、めぐり巡って数十年後、数世代後に取り返しのつかない事態を招くということのほうがありそうで怖いと思う。
人間に対して自由にゲノムを編集できるようになったら、冗長性を考えず、可能な限り効率的にある種の能力を持つ人間を生もうとするだろう。けれど、その「効率化」と「脆弱性」がトレードオフの関係にあることは、コロナの騒ぎの中でサプライチェーンの混乱という形で学んだことの1つではなかったか。
いくら冗長性を残したところで人間の想像力なんて限られているわけで、簡単に想定外の事態は起きる。

その「効率化」と「脆弱性」の関係を超越できて、生命なんていう分子の相互作用が何重にも重なり合った巨大システムを手のひらで転がすように制御できる超人類が、ゲノム編集の結果現れないとも限らないわけで、人類はこのまま目の前に現れたこの道を進むしかないのだろう。