シン・エヴァンゲリオン劇場版:||

シン・エヴァンゲリオン劇場版

テレビシリーズから四半世紀。
『Q』で観客に「新劇場版でも終わらないのではないか」という絶望を与えて放置すること9年。
とっちらかった話をどう回収していくのかという不安と期待で劇場に足を運んだけれど、事前の予想を嘲笑うかのように、開始早々に新しい舞台設定でさらに散らかしていく。

ゴルゴダオブジェクト、アディショナルインパクト、エヴァンゲリオンイマジナリー、etc.
終盤になっても尽きることのない新語の数々。まるで、作品の中の単語ひとつを切り取って、「考察」という名前の妄想を膨らませていたこの25年に対して、そんなものは意味がないと言い、別れの言葉としているかのよう。

対して、登場人物の心理描写や希望の示し方はこれまでの何よりも丁寧で、本当にこのシリーズが終わってしまうのだなと感じさせる。
急激で最後までうちにこもって受動的だったシンジ君が一歩を踏み出し、ゲンドウを諭す姿を見ると、姿は25年前と変わらぬ14歳でも、大人になったのだなと感じてしまう。

旧劇と同様に綾波は巨大化するし、アニメの絵コンテ回を思わせる演出もある。もともとの公開予定が2020年で、それから半年以上の間があったわけだから、時間がなくて絵コンテになったわけではあるまい。
今までを否定するでもなく、なかったことにするでもない。それが庵野監督の答えなのだと思ってしまったら、不思議と涙腺が緩み……。

結末は旧劇と似たようなものなのに、アレを初めて観たときの虚無感のようなものはなく、充実感だけがある。

この違いはどこにあるのだろう。
これが大人になるということなのか。
今の年齢で旧劇を観ていたら、同じように感じることができていたのだろうか。 違うだろうな。
これまでの25年がなかったら、造り手はこんな作品を作ることはできなかっただろうし、受け手もこの作品をこんな気持ちで受け取ることはできなかっただろうな。