SF映画のタイポグラフィとデザイン | わかりやすい未来の作り方

SF映画のタイポグラフィとデザイン

SF映画のタイポグラフィとデザイン

SF映画ファンに話題の大型本。
SF映画のワンシーンを取り出して、これでもかと掘り下げる。
フォントにフィーチャーした本だと宣伝されているけれど、掘り下げの対象は書体だけに留まらない。映り込むアイコンであったり、色であったり、文字列であったり……

この本を読むと、普段何気なく観ているSFが、細部にいたるまで計算されてデザインされていることを実感する。
そんな細かいところまで気になったことがないという人が大半だろうけれど、それこそビジュアルデザイナーの仕事が成功している証。
映画の解析の合間に挟まれるビジュアルデザイナーたちへのインタビューで彼らが口を揃えていうのは、デザインは重要だが観客がストーリーから気を逸らしてしまうようなものであってはならないというもの。
科学的な正しさと、観客へのわかりやすさの間でバランスをとらなければならない。 気が散らず、混乱しないものでなくてはならない。

その例として出てくるのが、SF映画におけるモニターの表現。『2001年宇宙の旅』に出てくるiPadのようなフラットパネルディスプレイでも、『ウォーリー』に出てくる大型空中ディプレイでも、モニターに細かい横線が入っている。
これはブラウン管の「走査線」を表現したのが始まりなのだけれど、現在主流の液晶画面でこのような線が入ることはない。未来のモニターにも走査線が走ることはないだろう(おそらく)。
そんなことは百も承知の上で、なぜSF映画のデザイナーたちがモニターに懐かしの走査線を走らせているのかといえば、それが観客にとってわかりやすいから。走査線の入った粗い映像を観れば、観客は瞬時にモニターの映像だと理解してくれる。
この話を読んだときなるほどなと感心した。


デザインの話を少し飛び出して、教訓めいたことも。

人類が月へたどり着いたあと、すなわち70年代前半に、NASAを含めてありとあらゆるものの予算が削減されはじめ、何が可能となりうるかではなく、何が可能かという時代になってしまった。そして想像力が失われた。 (中略)1972年ごろから、そして80年代全体を通じて、全部がクリップアートみたいになってしまう。(中略)「これはすごいアイディアだ、どうやったら実現できるか考えよう」ではなく、「予算とスケジュールを決めて、それに合わせたアイディアを出してくれ」になってしまったんです。わたしたちは元々の、未来志向の原理に立ち戻る必要があります。 p220

これはピクサーのデザイナーへのインタビューの抜粋。
まず始めに予算とスケジュールがあって、それに対してベストを尽くすという方法は、映画だけでなく社会全体に広まったやり方。コンスタントに結果を出すのに適したやり方なのだろうけれど、これで未来が作れるとは思えない。


フォントだけでなく、デザインの本としておもしろい。もちろんフォントの話は多いのだけれど。
この本を読めばEurostyleを使いたくなること必至。ただ残念ながら標準で入っていない。代替としてFuturaを使って今後は資料を作成しよう。

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