昨日星を探した言い訳 | 言葉を捨てた作家

感想

作者は『サクラダ・リセット』『いなくなれ、群青』『さよならの言い方なんて知らない』の河野裕。この人のシリーズもの以外の作品を読むのは初めてかもしれない。
他の作品とは違って魔法も特殊能力も登場しない。でもどこか浮世離れした舞台設定と、魔法といっても差し支えないほど大人びた考え方をする中学・高校生たちはファンタジー。
そんな中で生徒会の票集めといったリアリスティックな目的を掲げ始めたものだから、自分の中の何かがコンフリクトし、ページをめくる手が止まりかけたけれど、後半に入って倫理の話になると、その屁理屈(褒め言葉)と伏線回収に、逆に手が止まらなくなる。「愛と倫理の物語」とはよく言ったもの。

緑色の瞳

舞台となる学園には、男女差別や階級差別の他、人種差別が存在する。
いや、差別というほどあからさまではないけれど。ガラスの天井のような、平等でなければいけないことはみんなわかっているのだけれど、当人にはどうしようもできない、本能的なところにある差別。
ここで描かれる人種差別は肌の色ではなくて瞳の色。緑色の眼をした人間は差別されるというもの。
『死にがいを求めていきているの』の海族と山族が一瞬あたまに浮かんだけれど、シェイクスピアの「緑色の目をした怪物」かな。緑色の目をした怪物は嫉妬を表す。
差別とは嫉妬だろうと言わんばかり。

死にがいを求めて生きているの

死にがいを求めて生きているの

新訳 オセロー (角川文庫)

新訳 オセロー (角川文庫)

イルカの唄

主人公のひとりが幼い頃に途中まで読み、以降、彼女の中での理想郷になっていた未発表の映画脚本。現在は行方不明で、その結末を知ることはできない。
第二部になって主人公ふたりのスイートな恋愛模様が展開され始めたところで、この脚本がメインストーリーに絡んできたことで、脚本の結末の方向性は予想がつくのだけれど、読み進めると想像の斜め上。
倫理に偏重した結果、衰退の道筋を辿る文明の話だとは。これだけで一本のディストピア小説になりそうなのですが、その説明を数段落で終わらせるという贅沢。
現実世界をみれば、環境問題が顕在化しているわけで。かといって、経済を止めて、科学を切り捨てたところで、人類が無傷で生き残るのは難しそう。過剰な環境保護や、能天気な自由経済といった極に振れることなく歩みを進めなければならないけれど、それも難しいのだろうなあと。

言葉にできない倫理

物語を貫くのが、大切なことは言葉にしてはいけない、言葉にできないという考え。言葉にすると、大事な部分が削ぎ落とされてしまう。
例えば、仕事がうまく回っていないなという感覚の職場に「働き方改革」なんて言葉が導入されたかと思いきや、うまくいっていない感覚を言葉にせよ、数字にせよという命が下る。その結果、残業時間が多いだの、ITへの設備投資が少ないだのという課題が見つかり、対策を打つ。
結果、残業時間を減らしました、設備投資を増やしましたなんて成果上がるのだけれど、その実態は、サビ残が増えたり、仕事の質が下がったり、使いもしないソフトウェアが増えただけということも多いのでは。仕事がうまくいっていないという上手く言葉に表せない感覚は、解消されちゃいない。
とまあ、世俗にまみれた私の例え話は置いておいて、そんな言葉の怖さと限界をラブストーリーで語るのが河野裕という作家。作家が「言葉にできない」と表明するのは職務放棄のような気もするけれど、それを認めるのが誠実さなのかもしれない。

おわりに

いつものシリーズものと違って、これにて完結。
テーマの愛と倫理もおもしろいけれど、一冊で完結なので前の巻の展開どうだったっけ? など余計な心配をせず読めるのが地味にプラスポイント。