フォードvsフェラーリ | 実話を扱う難しさ

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(C)2019 Twentieth Century Fox Film Corporation

ド迫力のレースシーン! クリスチャン・ベールの名演技!
でも物語は……。
僕の言いたいことは大体、WIREDの記事に載っていた。

wired.jp


そもそもこのフォードとフェラーリの対決をドラマにするのが難しい。
絶対王者フェラーリ vs 弱小フォードという図式が成り立つのは、レースの世界に限ったことで、ややこしいことに視野を広げると立場が逆転する。
フォード陣営が、フェラーリの年間生産台数はフォードの日産台数くらいだと豪語するように、企業規模では圧倒的にフォードが有利。
池井戸潤の小説ならば、主人公はフェラーリ側で、規模の論理で圧力をかけてくるフォードを技術のフェラーリが打ち破るとなりそうだが、歴史はフォードに軍配をあげたのでそうもいかない。


ならば半沢直樹ばりに大企業病に陥るフォードを、アウトローたちが変えていくというストーリーも考えられるけれど、リーマンショックの時のフォードを見ると、映画で描かれたような大逆転勝利も大企業病を治す薬にはならなかったようなので難しい。
映画の中のフォード会長はヘリコプターでレース場を行き来する。40年後のリーマンショック、フォードのCEOは公聴会に自家用ジェットで来て非難を浴びる。 (ヘリコプターは脚色だろうけど)


要は、この実話は物語的なカタルシスを作るのが非常に難しいのである。
人vs組織、組織vs組織と言った構造を中心にするとまずムリ。
残るはWIREDの記事にあるように、エンジニアリングの側面にスポットライトを当てることだけれど、それはそれで、映画として成り立たせることが難しい。


そんな袋小路にハマり込んだ結果、フェラーリの掘り下げは浅くレースを盛り上げる添え物に過ぎず、フォードの役員はテンプレートなおべっか使いで、24時間耐久レースを可能にしたエンジニアリングの血と汗はほとんど登場しない。
それこそ、経営上の数字だけで技術を語る大企業の役員のように、中身が薄く物足りない。


とはいえ冒頭にあげた通り、レースシーンは大迫力で、クリスチャン・ベールは本当に口の悪いエンジニアにしか見えない。
その完成度は凄まじいので、ぜひ大音響の映画館でレースカーのエンジン音を肌で感じて欲しい。