逆ソクラテス | 道徳の時間です

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感想

伊坂幸太郎デビュー20年目の短編集。収録5編のうち、書き下ろしは3編。
小学生の主人公たちが教師の決めつけやいじめの原因といった「先入観」に立ち向かう。
先入観がひっくり返る瞬間はとても心地いい。

逆ソクラテス (集英社文芸単行本)

逆ソクラテス (集英社文芸単行本)

逆ソクラテス

「自分は何も知らないことを知っているだけ」と謙虚なことを言っていたのはソクラテス。
対して「生徒のことなんてすべてわかっている」と言わんがごとく生徒の才能を決めつけ、ときに才能を感じない生徒をけなしてしまう教師の先入観をひっくり返そうとする生徒たち。
教師にダメな人間だと決めつけられると、友だちもそういう先入観を持って接してきて、果ては自分にもそんな先入観が植え付けられて、本当にダメな人間になってしまう。

「子供たち全員に期待してください、とは思わないですけど、ダメだと決めつけられるのはきついです」 p56

という言葉が生々しい。
先入観を覆した草壁が、冒頭のプロ野球選手と同一かどうか、はっきりとは語られないけれど、その余韻が良い。

スロウではない

転校生が前の学校でいじめられていたという噂が広まり、クラスのリーダー格に目をつけられる。
実際には転校生はいじめている側であり、リーダー格の生徒と対峙した転校生はあなたと私は同じなのと語りかける。

「わたしも、あなたと一緒だったの」
「一緒って何が」
「前の学校で、クラスの中心で威張って、みんなを馬鹿にして。自分が一番だと思っていて」 p101

環境が変われば人も変わる。
いじめていた側がいじめられる側になることもある。

非オプティマス

利己的な道徳の話。
道徳の授業で持ち上げられるのは利他的な行動だけれど、「他人に奉仕すればあなたも嬉しいでしょ?」と語りかけたところで、万人の心に響くだろうか。
社会の構成員みんなが他人のことを思いやって生きることができたら、それが最良(=オプティマス)なのだろうけど、他人に迷惑をかけて楽しむ人間がいるのが現実だ。
だったら最良とは言わないまでも、人間の利己的な部分に語りかけるほうが多くの人間に届くんじゃないか。
この複雑な人間社会では、誰が誰とつながっているかなんてわからない。自分が見下している人間が、巡り巡って自分の命運を握ることだってあるかもしれない。
そんなときに困らないように、他人に迷惑をかけないようにしようじゃないか。

アンスポーツマンライク

更生の話。
刑期を終えた犯罪者が幸せな生活を送っていたらどう思うか。
他人の幸せを奪った犯罪者にそんな権利はないと心理的には思ってしまうけれど、その刑期を終えた後もその犯罪者が不幸だったとして、どんな行動にでるだろうか。
再犯をするのではないか。それで困るのは周囲の私たち。
犯罪者を一生どこかに閉じ込めることができない限り、更生は必要なのである。
こちらも利己的で現実的な道徳の話。

作中の犯人はバスケ選手に足を引っかけられて取り押さえられる。バスケの試合ならアンスポーツライクというファウル。そのファウルによって、魔法がかかる。

目の前にいる男の顔は、深海に取り残された者が流すような、暗い暗色の涙で濡れている。彼だって、好きでこんなことをしたわけではないのだろう。
自分で望んだわけでもないのに、迷路にはまりこんで、息苦しさと不安でそこから逃げ出したかったのかもしれない。
「ごめん、アンスポだったわ」駿介は、男にそう告げた。
ああ、そうだ。
もしアンスポーツマンライクファウルだったら、相手はフリースローが与えられた上で、さらにリスタートの権利がもらえる。 そのことを僕は、男に伝えたくなった。 p227

逆ワシントン

『アンスポーツマンライク』で足を引っかけたバスケ選手が登場。Youtubeでバスケ動画を配信していた彼は、プロ選手に転校し、バスケ日本代表を引っ張っている。
その様子が放送されているテレビを見ている家電量販店の店員がひとり。これでいいんだ、よかったんだと噛みしめるように涙を流している。
果たして彼は何者だろうか。

まとめ

伊坂幸太郎で道徳といえば『マリアビートル』で「どうして人を殺したらいけないの?」という問いに対しての「国家が困るから」という解答を思い出すけれど、読んだ当初は漠然とした「国家」に実感がわかなかった。
今回は「どうして人に迷惑をかけてはいけないの?」という問いに「あなたが困るでしょ」という解答で、こちらのほうが腹落ちする。
そこに倫理観や国家が作った規則といった、あるようでないような漠然とした基準はない。必要なのは自分が困るかどうかの実感だけ。
隣人を愛せ、奉仕せよと説いたところで、もともと隣人愛のない人間には響かないわけで、こういう利己的な道徳観というのもアリなのではと思う。

逆ソクラテス (集英社文芸単行本)

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マリアビートル (角川文庫)

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