ゲームの王国 | ルールを疑え

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あらすじ

後にポル・ポトと呼ばれる革命の指導者サロト・サルの隠し子として生まれた少女、ソリヤ。辺境の農村で神童として生まれた少年ムイタック。2人は革命の砲声が轟く1975年のカンボジア、バタンバンで邂逅する。
秘密警察、恐怖政治、強制労働、虐殺——。革命という不条理なゲームを支配するルールに2人は対峙する。
1人はルールの中で。もう1人はルールの外で。
半世紀が経過し、政治家となったソリヤは理想の ”ゲームの王国” を実現すべく最高権力を目指す。一方のムイタックは革命のゲームに決着をつけるべく、脳波を用いたゲーム “チャンドゥク”の開発を進める。2人のゲームの終着点は——。

ゲームの王国 上 (ハヤカワ文庫JA)

ゲームの王国 上 (ハヤカワ文庫JA)

  • 作者:小川 哲
  • 発売日: 2019/12/04
  • メディア: 文庫

感想

デビューから2作目にして、日本SF大賞と山本周五郎賞のダブル受賞。
すごい作品だと思ってAmazonでポチると、届いた文庫の帯には伊坂幸太郎と宮部みゆきのコメントが。この2人、『虐殺器官』の帯にもコメントを寄せてましたね。伊藤計劃以来の超新星ということでしょう。

虐殺器官〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

  • 作者:伊藤計劃
  • 発売日: 2014/08/08
  • メディア: 文庫

期待値が上がりまくりの状態で上巻を読み始めると、1900年代中盤のカンボジアの革命の話が展開される。おもしろいけれど、SFらしくはない。主人公の少年ムイタックの村が粛正されたところで上巻終了。
ここからどんな話が展開されるのかと思いきや下巻に突入すると、時代は飛んで2020年代。少年少女だったムイタックとソリヤは60歳前後となり、脳波測定器などのガジェットが登場。物語が一気に転調する。

単行本の表紙を見れば、上巻が『カラシニコフ』のようなドキュメンタリーの趣をしているのに対し、下巻はその表紙を抽象画風にトレースしたもの。
ひと目では同じ本とは思えない外見のように、中身も上巻と下巻で異なる。

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『ゲームの王国 上巻』の単行本表紙
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『ゲームの王国 下巻』の単行本表紙

カラシニコフ I (朝日文庫)

カラシニコフ I (朝日文庫)

上巻

ポル・ポトによるカンボジア革命の前後が舞台。
登場人物が多いが、覚える必要はあまりない。粛正により次々と退場していくから。

主人公2人の”ゲーム”に関する神がかった強さ、土と会話し土をあやつる村人、十数年口を開かなかったと思ったら突然美声を披露するソングマスター、輪ゴムを使った予知能力など、フィクション要素はあるけれど、SFというよりファンタジー。
革命の波にのまれる村の描写は、どこか『動物農場』を感じる寓話的な雰囲気。


いじめられっ子の話を、なぜ誰も聞いてくれないかに関する考察が個人的にお気に入り。

輪ゴムの布教をしようとして悪評が立った。ものすごいマイナスだ。その悪評という眼鏡で君を見ているから、どうせあいつは間違ったことを言っていると決めつけられる。一旦そうなれば、どうしても悪いところが目立ってしまうし、嫌な目にあいやすくなる。嫌な目にあえば悪いところが目立ち、その繰り返しでひどい目にあう。嫌なやつが口にするのは言い訳に決まっていると決めつけているから、弁解の余地は与えられない。 p158

この構図は子ども社会だけにとどまらず、大人の社会でも続く。
なぜ下々の意見が通らないのか。逆にいえばなぜお上のムチャクチャが通るのか。
物事の真相なんてどうでもいい。ひとつひとつに構ってられる暇はない。だったら、信用のない人間の言い分は問答無用で切り捨て、地位のある人間の発言に従っておけばいいじゃないか。
それが世の中のルールだ。
ルールが硬直化してしまうと、不正の温床になってしまう。そのもっとも極端な形が異議を唱えた者に対する粛正だ。

オンカーは国家の運営をうまくいかせるための方法を発明するのではなく、国家の運営がうまくいっていると解釈する方法ばかりを発明した。 p346

ルールは厳格に運用しなければならない。
一方で、ルールを柔軟に変化させ、新陳代謝させなければならない。
この相反する命題をどう解決するのか。
粛正された村を部隊に、そんなことを思わせて上巻は幕を閉じる。

下巻

物語は50年後の2020年代。故郷を粛正されたムイタックは生き延び、大学教授をやっている。
もう1人の主人公、ソリヤは政治の中枢に入り込み、次の首相の座を手にする勢い。

ポル・ポトの時代ほどではないにしろ、未だカンボジアには汚職や不正がはびこる。
2人の目的はゲームのように明快で不正のない王国をつくること。
けれど2人のとった戦略は異なり、ムイタックはルールの外から機会をうかがい、ソリヤはルールの内側で地位を築く。

ルールの中で生きる限り、理想だけでは前進できず、ソリヤはいくつかの不正に手を染める。いつか首相になったとき、理想を実現することを夢見て。

ルールを守らない人間が成功し、貧しい人々は搾取されている。成功した人間は、貧困の原因を努力の問題にするけれど、貧しい人々は努力の仕方もわからずにいる。私は世界中から、それらすべてをなくしたいの。根本的になくしたい。正義と公正が永久に続くような社会を作りたい。そのために、自分の人生を捧げると決めたの。でもときどき、いろんなことがわからなくなる。正しいことを実現するためには、権力を持たなければいけない。権力を持つためには、正しくないことをしないといけない。私はこの数年、正しくないことばかりしている。 p110

そんなソリヤの生き方にムイタックは懐疑的。

人々はいつだって話を聞こうとしないし、他人の価値観を理解しようとしない。そして、その絶望を糧に、彼女は国家を変えようと努力していたのかもしれない。話が通じない人に嘘をついて、自分にも嘘をついて、ようやく権利を得て、自分の理想を実現する——本当にそんなことは可能だろうか。 p383

現状のルールの中で戦っていては、いつか目的を見失う。
共産主義はいつのまにか地位や名誉を守るための恐怖政治に変貌し、資本主義はお金をどれだけ増やすかのゲームになっている。
私たちが本当に求めているのは「地位」や「名誉」や「お金」だろうか。それは何かを手に入れるための手段であって、目的ではないのではないか。
では私たちは何を手に入れたいのだろう。


ムイタックが仕掛けるのは「楽しい」という感情を中核に置いた対戦型のゲーム。
プレイヤーの脳波を読み取り、「楽しい」という感情を検出したときだけプレイヤーはアバターを操作できる。アバターを動かすために、プレイヤーは「楽しい」という感情を湧き起こさなければならず、結果的にこのゲームは勝っても負けても楽しいものになる。自己撞着的だけれど、「楽しいと思うことが楽しさにつながる」というのはよく言われること。

「楽しい」という感情を発生させるためには、昔の記憶を呼び起こすのが手っ取り早い。その記憶というのは、上巻で記述されたものであり、下巻に来て上巻全体がメタフィクションの様相を呈してくる。
土と会話する村人、突然美声を披露するソングマスター、輪ゴムで人の死を予言する少年など、現実にはあり得そうにない人物の存在がここで輝きを増す。

最後に

ムイタックとソリヤ。
2人の対決を煽った割に、エンディングはあっけない感じだが、それも物語の中で予見されている。

「世の中の出来事をそのまま物語にしたら、本当はみんな、そんな感じなんだ。途中まで面白そうで、何か意味がありそうに見えるけど、最後はだいたい無意味に終わる」 p375

この仕掛けは『未必のマクベス』的。

www.subtle-blog.com

この物語から受け取った教訓は、ルールが悪いのに人間を変えたって意味がない。ルールをシステムと言い換えてもいい。システムが悪いのに、それを構成する歯車に過ぎない人間のせいにしたって的外れ。システムを疑え。
そして目的を見失うな。そのシステムは何を実現するためにあるのか。「幸福」のために「お金」を必要とするような遠回りのシステムは、下手をすると目的を見失う。

そんな2つの教訓を印象づけたこの作品は、大河であり、SFであり、寓話であり、他の作品とは全く違った読後感を残していった。

余談だけれど、あとがきもこの作品のあとで専業作家になった著者の悲喜こもごもがあっておもしろい。単行本を持っている人もぜひ。

ゲームの王国 上 (ハヤカワ文庫JA)

ゲームの王国 上 (ハヤカワ文庫JA)

  • 作者:小川 哲
  • 発売日: 2019/12/04
  • メディア: 文庫

ゲームの王国 下 (ハヤカワ文庫JA)

ゲームの王国 下 (ハヤカワ文庫JA)

  • 作者:小川 哲
  • 発売日: 2019/12/04
  • メディア: Kindle版