『信長の野望・新生 with パワーアップキット』 | 上杉謙信で天下統一

前に書いた記事の続き。

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その後、代替わりせず上杉謙信一代で天下統一することはできないかと何度かチャレンジしていたのですが、1578年という謙信の没年の壁に阻まれてあきらめてました。
先日、『パワーアップキット』が発売されたのでやり直したところ、天下統一できたのでそのメモ。

なぜ謙信で天下統一できるようになったのか

「伝馬令」の登場

パワーアップキット(PK)で追加された制度、「伝馬令」がいちばん大きい。
強化していくと大名と軍団の範囲を広げられる制度。最後まで強化すると、テキトーに軍団を配置しても4軍団もあれば日本全体をカバーできる。
無印のときは最大の軍団を作ろうとしても、有力大名と同じくらいの規模にしかならず、なかなか相手の領土に攻め込んでくれないといったことがあったけれど、伝馬令でドーピングした軍団なら中国地方を統一した毛利にも、九州を統一した島津にも、手動では管理しきれないレベルの全方位攻撃を自動でかけてくれるので終盤の停滞がほぼなかった。

「安塚神社」の登場

PKでの追加された「名所」として、越後には「安塚神社」が与えられている。効果をアンロックするには越後に属する6城の開発率を90%以上にしなければならないので、最初から使えるわけではないけれど、腰兵糧が15日増え、北陸を制覇すると30日に強化されるので非常に強力。
春日山からだと東海に本拠地のある今川も北条も射程圏に入ってくる。
伝馬令と合わせることで、無印と比較すると格段に遠征がしやすくなった。

「従属吸収」の活用

無印のときからできたはずなのだけれど、PKになったら従属吸収が簡単になった気がする(そう感じているだけ?)。
直接の隣国でなくても従属させている国の隣国であれば従属させられるので、ドミノ倒しのように従属を仕掛けられる。時間が経てば従属吸収の具申が出てくるのでそれを承認するだけ。
PKで追加された攻城戦は各勢力の本拠で必要になるから従属吸収を使わないとめんどくさかったかもしれない。小国との攻城戦に勝ったところで大してメリットないし。

天下統一までの道のり

思い出しながら統一までの道のりを。
シナリオは信長元服、難易度ノーマル。

序盤

安塚神社のご加護がほしいので、なるべく越後の群に武将を配置。注意していないと10年経っても開発率が10%台とかザラにある。
大名が上杉謙信(長尾景虎)に変わるのとほぼ同時に坂戸城に攻め込み、長尾政景を配下に。設定ミスなのか、無印版であった政景降伏イベントは発生しないが、普通に勝てる。そのまま沼田城も落として北条の侵攻に備える。
開幕早々、武田が村上を滅ぼしそうな勢いで攻め込んでいたので武田に取られるくらいならと、こちらも村上に攻め込み、村上義清を配下に加える(砥石落城が発生しなさそうな感じだったので)。
武田はこれ以降、西に気を取られていたので、こちらも西に進んで富山や能登半島を手中に収める。
スキを見て福島のほうに攻め込み、蘆名盛氏も配下に加える。 そんなことをしているうちに1550年になると、越後上杉がイベントで配下になる。この状態になると東北地方は伊達家以外はすべて従属させられる状態になるので忘れずに従属させておく。

中盤:武田、今川、北条の討伐

放っておくと北条が沼田城に攻め込んでくるようになるのでお隣の箕輪城の長野業正と協力しながら撃退。威風大が発動するので4つくらい城が手に入るカウンターパンチをお見舞いできる。何となく北条は合戦に弱い感じがするので、攻め込んできたら合戦、威風のカウンターパンチを繰り返せば、だいぶ削れると思う。 その後は北条を牽制しつつ武田を討ちに。甲信地方の山に城が点在していて攻めにくいが、何とか武田を滅ぼす。
その次は東海の今川征伐に。桶狭間の前に織田を滅ぼしそうな勢いだったので。北条のほうが先かなと考えていたけれど、このあとで攻めた小田原城がやたら固かったので、そこを飛ばして東海側を先に制服したのは結果的に正解だった。関東平野側から東海に進出しようとしても小田原で詰まったはず。
関東平野を手中に収めるころには序盤で従属させていた東北地方の大名たちを吸収できるようになっているのでとにかく吸収。軍団を立てておいて、攻略目標を伊達にしておけば、勝手に東北地方を平定してくれる。
北条は関東側と東海側から挟み込むようにして征伐。小田原城はかなり固いので、どうしても最後になる。
ここまででだいたい1560年前半くらいになっていたはず。

終盤

1560年くらいだと織田も含めて中部地方はまだ少数勢力の集まり。
彼らにとっては越後の田舎から出てきた人間は知らない人で、よく言えば何のしがらみもないので、東北と同じように従属の連鎖を発生させられる。
従属してくれなければ攻め滅ぼすのみ。大きな勢力は少ないので軍団に任せても十分に領地を拡大してくれる。
中国、四国、九州もしかりで、二条御所にこもって軍団に任せておけば、勝手に領地が拡大されていく。
そんなこんなで、上杉謙信の死の2年前、1576年には天下統一。
無印からの悲願を達成することができました。

後日談:息子の景勝が関ヶ原を駆け抜けました。

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