多数決を疑う | 多数決を捨てるとき

感想

某国のリーダーの言動であったり、政治であったり、「なんでこんなことが?」と思うことが多い。そういう声が多数を占めたとき、政権交代や選挙が始まる。
けれど、国民から不評をかったリーダーたちも、もともとは選挙による「多数決」で選ばれた人たちであることを忘れてはいけない。選挙結果が民意を反映しないという現象が、一度や二度で済むのであればどうということはないけれど、そんなことがここ何年も日本どころか世界各地で繰り返されているのだから、「多数決」というシステムそのものに、欠陥があるのではないか疑いたくなる。

多数決を疑う――社会的選択理論とは何か (岩波新書)

多数決を疑う――社会的選択理論とは何か (岩波新書)

多数決に限界を感じる人はやはり他にもいるようで、例えば小説だけれど『夜空の呪いに色はない』のセリフは辛辣で、多数決は責任を薄めるためのシステムだと言う。

「多数決で探しているのは正解じゃなくて、言い訳なんだよ。それで出した答えで困っちゃう人がいても、私のせいじゃない、みんなで選んだんだから仕方がないって言いたいだけなんだよ」  『夜空の呪いに色はない』 p313

同じように、これからの組織の意思決定について書かれた『ティール組織』のなかではでは、多数決は時間がかかるし、責任も曖昧で、正しいとも限らない、とう理由でやめてしまいましょうと提案されている。

www.subtle-blog.com

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これらは感覚的な提案であるのに対して、この『多数決を疑う』は社会的選択理論の学問的な立場から、現在広く利用されている「多数決」というシステムが、いかに脆弱かを示す。
大人数の意見を集約するには、ボルダルールやスコアリングルール、コンドルセ・ヤングの最尤法など、もっと優れた方法があるにも関わらず、「多数決」を使い続けるのは、思考の停止でしかないと批判する。

「多数決」というシステムが間違っているとしたら、そこにいくら正しいインプットを入れたとしても、アウトプットは間違ったものになってしまう。
何度やり直しても同じ間違いを繰り返すだけ。
小手先の変化で満足するのではなく、システムそのものを見つめ直さなければならない時期に来ているような。

多数決を疑う――社会的選択理論とは何か (岩波新書)

多数決を疑う――社会的選択理論とは何か (岩波新書)