『すずめの戸締まり』 2回目レビュー | なぜサダイジンは環に取り憑いたのか


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ようやく2回目を鑑賞したので、1回目にあまり理解できなかったサダイジンが環を暴走させたシーンの自分なりの理由づけを。

1回目の感想はこちら。

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ダイジンが鈴芽を好きになった理由は序盤で「うちの子になる?」と話しかけられたから。その言葉にダイジンは身体がツヤツヤになるくらい喜んでいるのだけれど、その後、当の鈴芽はそんな言葉をかけたことを忘れていて、それどころか全国の後ろ戸を開けて回る存在として、ダイジンを敵視している。
最初にみたときは意識していなかったけれど、「うちの子になる?」という言葉は環が幼い鈴芽にかけたのと同じ言葉で、サダイジンに感化された環との会話のなかでもリフレインされている。

サダイジンの言葉の対象が鈴芽に向いているのだとしたら、ダイジンのことを慮って、裏切られたときの辛さを鈴芽に伝えようとしていたのかもしれない。自分の言葉に責任を持てよ、と。ただし、この考え方だと、鈴芽は東北の後ろ戸に行き着くまで、ダイジンが自分に好かれるために行動していたのだと気づいていないので、サダイジンの気遣いは空振りに終わったことになる。

ならばサダイジンは鈴芽ではなくダイジンに対して何かを伝えようとしていたのではないか。身体の大きさからしてサダイジンのほうが先輩だし、左大臣がいるなら右大臣もいるはずでその右大臣がダイジンにあたるのだとしたら右大臣よりも位の高いサダイジンが後輩に教えを授けていたのかもしれない。
その教えとは何か。
劇中、「気まぐれは神の本質だからな」なんてセリフがあるけれど、それは人間だって同じで、いちいち過去の言動に責任をもってはいられない。だからといってその気まぐれに悪意があるわけではない。環が吐き出すように、「うちの子になろう」と言って引き取っても、鈴芽を邪魔に思うときだってある。
そんな黒い感情をダイジンにみせることで、人間の言葉なんて一時的なものでしかないのだから、それに惑わされるな。最後に決めるのは自分自身だぞということをダイジンに伝えようとしていたのではないか。それが最後、ダイジンが要石に戻る決意をしたことにつながったという気がする。

エンディングで幼い鈴芽に送られるのは、未来の自分を信じろというメッセージ。
他人の言葉に惑わされず自分を信じろというちょっとうがった受け取り方もできる。
本当の自分を見つけるのがロードムービーの定石だけれど、鈴芽と同様にダイジンも自分の本分を見つけられたのかもしれない。