全世界50億人が集う仮想世界<U>で繰り広げられるドタバタ劇。
ティザーを観たときから私の頭の中では<U>は『サマーウォーズ』の仮想世界<OZ>の亜種という固定観念が離れず(実際、身体の情報を反映するという機能が追加されただけ?)、本編を観る前から<U>のシステムはわかっているよと思っていたくらいだけれど、初見の人にもわかりやすくするためか、<U>について割としっかりと時間を使って説明される。
そう、しっかりと。
『サマーウォーズ』から10年。SNSが浸透して、仮想世界も間近になっているわけで。
それなのに、『サマーウォーズ』以上の時間を使って仮想世界<U>を説明されて、くどく感じてしまったのは私だけでしょうか。
仮想世界では現実の人間の裏の顔が垣間見えるなんてステレオタイプな話をされても、そんなことはわかっているよと叫びたくなってしまう。
序盤はそんなふうな説明パート。YOASOBIの幾田りらの演技が救い。
中盤はタイトルからも、メインビジュアルからも想像できる『美女と野獣』パート。
新海誠がジブリを持ち出した『星を追う子ども』のような印象。
「野獣」に対する「美女」の感情が何なのか、いまいちつかみ切れないのが、さらにこのパートを難しくしているような。 竜の正体を主人公の幼なじみにミスリードさせておきたいという意図があるからか、このパートが恋愛なのか、母性なのか、はっきりしない宙づりのまま進んでいく。
おもしろくなってくるのは終盤から。学校のはみ出しものと、学園のマドンナのコミカルな告白のシーンから。
急ぎ気味の伏線の回収。
川に飛び込んだ母親を追いかけようとした幼い主人公を引き留めたのは、幼なじみの小さな手。その幼なじみが今度は主人公の捨て身の決断に対して、背中を押してくれるというのは、守られる側の主人公が守る側に回ったという成長を象徴しているようで、悔しいけどウルっときてしまった。
とはいえ、『サマーウォーズ』みたいな危機感を感じない。向こう側に生身の人間がいるとはいえ仮想現実の世界でのことだし、身に危険が迫っているのは主人公たちのほうではないし。
自分の想像力というか、自己投影能力の限界を感じる次第。
そう考えると『サマーウォーズ』はよくできていたなと。仮想現実のドタバタを無理矢理にでも現実世界に持ち込み、おばあちゃんの唐突な退場で死を身近に意識させた上で、衛星の落下なんていう強引な舞台装置で決着をつけたわけで。
『サマーウォーズ』と『竜とそばかすの姫』を見比べるのが、いちばんおもしろいかもしれない。
仮想現実の出来事を観客に主観的に意識させるためにはどうすればいいか。
いや、たぶん10年もすれば、何の舞台装置もなく仮想現実を現実世界に投影できる世代が多数になってくるのだろうけど。