はじめに
『ユートロニカのこちら側』『ゲームの王国』の小川哲の短編集。
各短編について簡単に。
魔術師
稀代のマジシャンが挑む最後の演目『タイムマシン』。
タイムマシンは本当に存在したのか。
存在しないのであれば、彼は自分の人生をたった1つのマジックに捧げたことになる。
「このマジックの仕掛けは彼が三十一歳のときから始まってるの。十九年前に『タイムマシン』の計画をした。そして、十九年かけて予言の通りになるように自分の人生を失敗させた。成功は狙ってできるとは限らないけど、失敗ならかならず成功する。 p38
原理不明のガジェットと、人生を捧げるマジシャンはノーランの『プレステージ』。
希望を残そうとしたのはこっち。狂気に振り切ったのはノーラン。
ひとすじの光
『ウマ娘』で主役を張ったスペシャルウィークについての話。
馬も人間も死ぬ気で血筋を残そうと走り続ける。
SF要素は薄め。
時の扉
アラビアンナイト風味。
同じような題材なら『息吹』の中の『商人と錬金術師の門』のほうが好きかな…。
ムジカ・ムンダーナ
音楽を通貨とする少数民族の島で、一度も演奏されたことのないという伝説の音楽を探す。
SF要素薄め。父の足跡を追うという点で『ひとすじの光』と似ている。
最後の不良
流行と文化が消滅しつつある近未来。
流行と文化へのすさまじい冷笑。
不良の格好をしている。不良は学校や世間のルールに縛られたくなくて、髪を染めたり、リーゼントにしたり、バイクを改造したりした。だがその帰結はどうなった? 不良はみな似たような格好をするようになった。似たような形にバイクを改造した。学校や世間のルールが嫌だったはずなのに、彼らの集団には厳格な掟が生まれた。くだらないと思わないか? p182
みんなと同じことをするなんて括弧悪いと言って、結局みんなと同じツンツンのワックス頭をする同級生を見て困惑してたガリ勉タイプの私としては、非常に共感できる話。
でもね、守破離という言葉があるように、一度は滑稽なくらいあっち側に足を踏み出さないと次につながらないんだと、思春期の自分に説教をしたい。
嘘と正典
歴史改変技術が発見された冷戦下、CIAは共産主義の誕生をそもそもなかったことにしようと、フリードリヒ・エンゲルスに狙いを定める。
しかし、共産主義側に歴史を上塗りされ、結局、史実通りに。
「歴史改変」なんて大仰な舞台装置に目がくらむけど、これは正典の成り立ちそのもの。歴史を追うごとにそのときそのときの為政者の意向で解釈が上塗りされ、もともとも意図もわからないほどに変性していく。解釈の上塗りを嘘とするかどうかは、その後の解釈次第。
まとめ
短編を複数読んで、「父親」と「時間」、「裏の裏」の書き方に特徴があるなぁと。
『魔術師』も『ひとすじの光』も『ムジカ・ムンダーナ』も子ども理解の範囲を超えた父親像。『魔術師』も『時の扉』も『嘘と正典』も平行世界を想定した過去旅行。
次はどういうふうに捻ってくるのか。平行世界は過去へタイムトラベルする上でほぼ唯一の逃げ道だからどうしようもないかもしれないけど。
「裏の裏」は自分で言っててうまく説明ができないけれど、ひねくれた視点で見た後、それをさらにひっくり返す感じとでもいえばいいのだろうか…。『ゲームの王国』も『ユートロニカのこちら側』もそんな感触があったので、これがこの作家の特徴になるのだろう。