超一流になるのは才能か努力か | 正しい努力とは何か

ちまたでまことしやかに囁かれる「1万時間練習すれば一流になれる」という都市伝説。
この本は「1万時間」という数字には何の根拠もないと否定しつつも、研究事例をあげて努力を続ければ一流になれると説く。
ただし、漫然と時間を注ぎ込む努力ではなく、目標を明確にし自分の能力を少しだけ超える負荷をかけ続ける努力でなければならない。努力にも質がいる。

超一流になるのは才能か努力か?

超一流になるのは才能か努力か?

「一流」は生まれつきの能力ではなく、努力でなれるものであるというこの本のメッセージにはとても勇気づけられる。
けれど、そこに才能はないのだろうか? 
練習を「楽しい」と感じているトッププレイヤーはおらず、みんな辛いと思いながら練習を続けているという。辛さを乗り越えて、努力を続ける才能というのもあるのではないか。
例えば宮崎駿は「アニメは辛い」と何度も言ったあげく引退宣言をしながらも、結局作品作りの現場に戻ってきている。そういうのも才能なのではないか。 だとするなら、タイトルの「才能か努力か」という二択を迫るような問いへの答えは、この本を読んでもはっきりしない。
はっきりするのは正しい努力は何かということ。

具体的な目標を持ち、辛くても自分に負荷をかけ続け、適切なフィードバックを得る。それが大事。

「辛くても自分に負荷をかけ続ける」というところだけならただの精神論。具体的な目標なく負荷をかけ続けたのは昭和の話。フィードバックって何だっけ? 負荷をかけなくなったのは平成のゆとり世代の話。 何だか正しい努力から離れ続けている気がする我々ですが、これからの世代は正しい努力を続けられるのでしょうか。

超一流になるのは才能か努力か?

超一流になるのは才能か努力か?