天気の子 | ボクとセカイの向き合い方

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以前の記事であまり良いことを書かなかったくせに、2度目の観賞です。
2回目ともなると、展開も登場人物も頭に入っているので、話の展開と演出が『君の名は。』に似ていようとも、『君の名は。』と同じ登場人物が出てこようとも、冷静に受け止められる。

小説 天気の子 (角川文庫)

小説 天気の子 (角川文庫)

すると不思議なもので、2匹目の『君の名は。』を狙い? とか『エヴァ』が作ったセカイ系の荒野にまた行くの? といった疑心暗鬼な感情が薄れた。

いちばんの理由は「東京」を放り投げて「陽菜」を選んだ帆高の選択についての受け止め方が変わったこと。
何度も見た「セカイ」と「女の子」という二者択一の構図。最初見たときは反射的に「またこれか!」と思ってしまった。この問いにぼくらはハマりこんでしまって長いこと右往左往している。またそこに戻るのか?
象徴的なのは『エヴァ』の新劇場版で、『破』でサードインパクトを厭わず綾波を救う選択をしたシンジ君。我々はやっと「セカイ」と「女の子」という二者択一の呪いから抜け出せたのかと思いきや、続編の『Q』ではセカイを変えたことを周囲の人間から批判され、答えのない問いに再びハマりこむ。

そんな不毛な問いをまた続けるのかと最初の観賞時は思ってしまったけれど、冷静な気持ちで見ると、その問答から抜け出している。
「お前らがセカイを変えただと? うるぼれるな」という帆高の周りの大人たちの後ろ向きなエール。
そんなエールにも関わらず、「セカイを変えてしまったのは僕たちなんだ」と自覚する帆高。
大人たちのエールと帆高の自覚は矛盾しているけれど、セカイのあり方としては正しいはずだ。

セカイを変えられるという希望をもって子どもたちには生きてほしい。
その結果が悪い方向に転んだとしても、誰かがセカイに対して責任を負うべきではない。
そもそもセカイはそこに住む人間の選択の結果で生まれるものだ。その結果、人柱なんていうそんな役割が生まれることもあるだろう。
けれど、すすんで自己犠牲を受け入れてセカイを守るというのは違う。ボクらの選択の産物でしかないはずのセカイを守るために、ボクらが犠牲になるなんてバカげてないか?
だからセカイがどうなるかなんて気にせず、目の前の女の子を救え。
その結果世界が悪い方向に進んだとしても、それは世界が狂っているからで、お前の責任ではない。目の前の女の子の幸せを願った結果、良い方向に転ばないセカイの方がおかしいのだから。
だから大丈夫。好きに生きろと。

終盤までの展開がぎこちないとか、クジラみたいに大きな水の魚は結局なんなんだとか、気になるところはたくさんあるけれど、こんなメッセージを受け取れたので私は満足です。

小説 天気の子 (角川文庫)

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