感想
以下、ネタバレあり
アカデミー賞の最有力候補に挙げられているアルフォンソ・キュアロン監督作品。
キュアロンといえば、原題とは意味が真逆になった『ゼロ・グラビティ(原題:Gravity)』といい、原型を留めていない『トゥモロー・ワールド(原題:Children of Men)』といい、邦題に恵まれないことで有名ですが、今回は原題=邦題ということで心配なし。
舞台がメキシコなのに、なぜローマ? と混乱するけれど、メキシコシティにコロニア・ローマという地名があるらしい。 さらには同じ綴りの少数民族ロマ族ともかけているのではないか。民族の垣根を超えて、家族になるというのがこの映画のテーマの1つだし。
この映画は淡々と、メキシコの上流階級の家で住み込みの家政婦として働くクレオを描く。
そこにはアクションもドラマティックな展開も少なく、ストーリーを楽しむというよりは、映像と音を感じる映画。
冒頭では床のタイルが映し出され、そこに水が押し寄せる。ゴシゴシと何かをこする音がして、誰かが掃除をしているのだなとわかる。
繰り返し押し寄せる水。その音は、浜辺に押し寄せる波に似ている。
波がまだ小さな状態でこの映画は始まる。
終始引きの映像が多くて、ときどきクレオの姿を見失うほど。
それはまるでこの映画の主人公はクレオじゃないと言いたげ。
この映画は特別な力を持った主人公の話ではなく、人ごみに紛れて見失ってしまうような、一般的な人間の話なのである。
物語の中盤、クレオはボーイフレンドの子を身籠もる。
妊娠したことを告げるも、彼は逃亡。クレオは父親がいないまま、出産の準備を進めることになる。
冷淡な父親とは違ってクレオの周囲の人たちは、クレオに手を差し伸べる。
妊婦に対する愛は『トゥモロー・ワールド』に通じるものがある。
終盤で、クレオは暴動に巻き込まれ、破水し、死産を経験する。
落ち込むクレオは、雇用主から家族旅行に誘われる。
旅行先の海辺で、家族の子供が溺れかける。泳げないにも関わらず、子供を助けるために波に向かっていくクレオ。
浜辺では小さかった波も、岸から離れるにつれて大きくなる。
映画冒頭の水の音と対比するかのように、波は高く、その音は大きくなっていく。
波の先で子供を捕まえるクレオ。岸に戻ったクレオたちを、雇用主は抱きしめる。
雇用主はクレオに、あなたは家族も同然と言う。
映画を通じて終始淡々としていたクレオはここで初めて弱音を吐く。
本当は子どもを産みたくなかったと。
クレオは自分の弱みを見せられる関係を、初めて見つけたのである。
全体的に淡々としているけれど、撮影技法は群を抜いて高いし、そこらじゅうにメタファーが詰まっている。
民族、女性、家族といったテーマ性もあるし、アカデミー賞好みの作品であることは間違いない。