ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー | 萎みゆく大宇宙

あらすじ

銀河を駆ける伝説の運び屋ハン・ソロと、その相棒のチューバッカ、悪友ランド・カルリジアン、愛機ミレニアム・ファルコン号の出会いを描くアナザー・ストーリー。

ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー オリジナル・サウンドトラック

ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー オリジナル・サウンドトラック

感想

『ローグ・ワン』に続く、スター・ウォーズのアンソロジー・シリーズの2作目。 アメリカでの興行成績がかんばしくないのを聞いていて、期待は禁物と思いながら観に行ったのだけれど、想像以上に感想に困る作品でした。
全てが無難にまとまっていて、手をうって讃えたいシーンがあるわけでもなく、ツッコミどころがあるわけでもなく、非常にコメントしづらい。
これが『フォースの覚醒』なら「EP4の焼き直しかよ!」
『最後のジェダイ』なら「フォースはそんな万能じゃなかっただろ!」
『ローグ・ワン』なら「冷戦映画の核爆発EDかよ!」
といった感想が浮かぶのですが……。
……あれ? ツッコミばかり……? いや、でも『ローグ・ワン』でフォースを念仏として登場させたのはグッドアイデアだと思っていますよ?

萎む宇宙

とはいえ、こうして感想文を書き始めたからには、何かこの作品について思ったことがあるわけで。
それは「あれだけ広大だった宇宙が、小さくなって、しぼんでいっている感じがするなぁ」というものです。ここでの宇宙というのは「マーベル・シネマティック・ユニバース」のユニバースと同じ意味合い。
これを感じたのは作中でハン・ソロが「ケッセル・ランを12パーセクで飛んだんだ」と言ったとき。
このEP4から登場する「ケッセル・ランを12パーセク」のエピソードが作中で詳細に描かれるわけですが、そのことによって、なんだかこれまでの作品が持っていた余白が埋められて、月並みな表現だけれど、味がなくなってしまっている感じがしたのです。
この場面で言えば、真実を言っているのか、嘘をついているのかわからないいい加減さがハン・ソロの魅力の1つだったのに、本当だとわかってしまったら、魅力の一つがなくなってしまった感じ。

壮大な物語には、膨大な設定が付きもので、その全部を限られた時間や文章量の中で登場させるのはほぼ不可能。どこかに取りこぼしがあるのは当たり前で、ファンにとってはそこが空白となる。その空白を埋めるために、ファンがあれこれと想像し、答え合わせをするうちに、作品の人気が不動のものになると思うのです。
ロード・オブ・ザ・リングも、ハリー・ポッターも、物語では説明されない膨大な設定資料があるわけで。エヴァンゲリヲンに至っては、製作者本人でさえも考えていないような話をファンが考え出しているわけで。

スター・ウォーズもメインのお話のおもしろさはさることながら、そこに描ききれない余白があったからこそ、熱狂的なファンがついたと思うのです。
それなのに、今後も続くであろうこのアンソロジー・シリーズは、余白にわざわざ説明を加えることで、シリーズが持っていた味をなくそうとしているような気がするのです。
それが純粋に「描きたい」という衝動からくる行為なのであれば良いのですが、単に商業主義に走っているだけのように感じられるから、やるせない気持ちになるのです。

最後に

辛口な感想になってはしまったけれど、つまらないわけじゃない。
少なくとも『最後のジェダイ』を観たときほどの怒りはない。
なんといっても、ヒロインのエミリア・クラークが美しいし。

ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー オリジナル・サウンドトラック

ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー オリジナル・サウンドトラック