東芝の悲劇|どこにでもある日本企業の話

東芝、タカタ、日産、神戸製鋼。
名だたる日本の企業の不祥事が続く中、曲がりなりにも日本企業に勤めている身として、組織が崩壊に向かうとき、その内部で何が起きているのか知っておきたかったので。
読んでみると、別に東芝特有の話ではなくて、大半の日本企業に起こりうる現象のような気がして、ホラーである。そして、ここまで日本企業の不祥事が続くとなると、単なるホラーではなく事実なのかも。

東芝の悲劇

東芝の悲劇

この本の内容はエピローグの一文に集約されている。

東芝の元広報室長は「模倣の西室、無能の岡村、野望の西田、無謀の佐々木」と評したが、この四代によって、その美風が損なわれ、成長の芽が摘み取られ、潤沢な資産を失い、零落した。東芝でおきたことは、まさに人災だった。

東芝は関東近辺に本社や工場が多く東京の秀才が集まりやすい立地にあるため、穏やかでおっとりした人の多い社風だそう。 そこにきてここ最近の歴代四社長は、人に言うことを聞かせるのが得意なタイプ。波風を立てないようにする社風の中で、間違ったことであっても社長が部下を従わせることは簡単だったに違いない。たとえそれが経営戦略的マズい選択であったとしても、たとえそれが法律に抵触するような行為であったとしても、社長の意見は通りやすかったのだろう。
それぞれの社長が何をしてきたかは本に書いてあるので、本を読みながら自分が思ったことをここにメモしておく。

会社の構造について

東芝の社員数は数十万と言われている。ここまでではないにしても、日本の大企業の多くは1000人以上いるのが一般的ではないだろうか。企業の規模は欧米でも日本でも同じくらいだと思うけれど、日本はトップダウン型が多いと言われている。大げさに言えば、欧米は社員一人ひとりが好き勝手に動いているのに対して、日本は社長の一言で全員が一気に動く。欧米は一人ひとりが勝手に動くから失敗が常にあるけれど、それと同じくらい成功がある。日本では社長の戦略が成功したら利益は大きいが、一度失敗すれば組織が吹っ飛ぶ。
「反脆弱性」で言うところの負のブラック・スワンが大きすぎて、そもそも組織構造的に日本は危険な気がする。

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変革について

なぜ東芝が社内のマイノリティである肉食系の人材に社長を任せることにしたのか。そのきっかけは、2000年前後の日本の電機業界の停滞にあるらしい。電機製品がコモディティ化して、利益がどんどん縮小していった。そんな停滞の時期にあって「強いリーダーシップ」を持った人間が求められた。そして失敗した。
変革を求めて過激な人間に権力を渡すというのは人間の習性のようだ。最近でいえば、アメリカの大統領選挙がいい例。

今後の製造業について

東芝、タカタ、日産、神戸製鋼以降もいろいろと問題は続きそうな気がする。悪質な不祥事レベルではないにせよ、なかなか人が育たないとか、小さな事故が頻発するというレベルの問題がしばらく続いていきそう。
いま主力になっている30代40代の世代と比較して、いまの20代は「ゆとり教育」とか「ミレニアル世代」とか「働き方改革」とか変化のパラメーターが多すぎる。上の世代の人たちは自分たちと同じように経験を積ませれば、やがて使い物になると考えているようだけれど、そもそも育ってきたバックグラウンドが違うし、仕事に求められるスピードやスキルも違うだろうから、悠長に構えていたら何も育たない。育ってない人材に無理難題な目標を与えたら、品質を落とすか、最悪、嘘をつくしかない。
昔、零戦という戦闘機があって、世界で一番性能を誇っていた。ところが熟練の作り手でないと作れない機体で、操縦者にも熟練の腕が要求された。結果、戦争の末期になって人手が足りなくなると、満足に作ることも飛ばすこともできずに終戦となった。
この人手不足の時代にあって、製造業でも零戦と同じようなことが起きている感じがする。昔だったら、大量に人を投入して、勝手に育つ優れた人材だけを引き上げていけばよかったのかもしれないけれど、これからもそんなことを続けていたら、やがて作り手がいなくなってしまうだろう。

まとめ

かなりとりとめのなり文章になったけれど、たぶんそれは自分が問題の根本をつかみきれていないからだと思う。そして自分にとって近すぎる問題だから。
自分自身、製造業で仕事をしていて、たった二年しか経っていない身で生意気にも違和感を覚えることが多々あるのだけれど、かといって何を修正すればいいのかわからないことが大半なのです。
残念なことに、東芝、タカタ、日産、神戸製鋼は氷山の一角なのではないかなと。

東芝の悲劇

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