職業としての小説家

 

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)

 

 

村上春樹の自伝的エッセイ。

初めて村上春樹を読んだのは高校生のとき。
当時売れに売れていた「1Q84」の興味を持ち、ミーハーな気持ちで読み始めたのだ。そんな軽い気持ちで読んだからバチが当たったのか、最後になってもハッキリしない結末と、散らかされたままの謎に耐えられず、村上アレルギーを発症。「よくわからないままにおもしろいのが村上春樹」だと悟されても、納得ができなかった。

以来、数年間、村上春樹を手に取ることはなかったけれど、気まぐれに手を出したこの本で村上作品への印象が変わり、アレルギーが治った。
そもそもこの人、結末も結論も、そこに至る理由も必要だとは思っていないんだ。
世の中のほとんどのことは不条理で、明確な結論がないまま終わる。だから、物語もそうであっていいでしょうと、開き直っているというか、そこを狙ってやっている。

ふと思いたって本を書こうと決めた新人時代のエピソードが面白かった。
物書きをしようと思い立ったはいいが、あの村上春樹でも文章が書けなくなったそうだ。そのとき自身を分析してみて、どうやら自分は日本語で身の丈に合わない難しい文章を書こうとしていることに気づく。だからもっとシンプルな文章を書くために、簡単な構文しか知らない英語で書いてみたらどうだろうかと思いつく。タイプライターを引っ張り出して英語を書き、それからそれを日本語に翻訳するという作業をしたという。
それで書きたいものが書けるようになったというのだからおもしろい。
普通の人間はそんなことを思いつかないし、思いついたところでずいぶん回りくどい方法だから実行しないだろう。

そんな村上春樹のエピソードなり、物語の設計思想なりを加味して「色彩を持たない多崎つくる」だったり「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」だったり「海辺のカフカ」だったりを読むと、すっきりしない物語であることは織り込み済みで、おもしろく読めるようになるのです。

もちろん、この本のおかげだけではなくて、最初に「1Q84」を読んでから時間が経って、自分が変化しているせいもあるだろうけど。特に高校時代、受験時代は正解か不正解か、ハッキリさせないとやってられない時期でもあるわけで。時間が経って、どっちつかずの余白を楽しめるようになった。

もしこの本を読んで村上春樹が好きになれなかったとしても、何事かに取り組む上で参考になりそうな箇所がいくつかあるので、損することはないと思う。

  • 人の評価を気にせず、自分の書きたいことを書くべきだ。そうしないと後でツラい。好きなことを書いているうちに、それがスタイルになる。
  • ルーティーンに従って書いている。一日に原稿用紙十枚程度、時間にして五時間ほど。第一稿を書き上げたあと、ゴリゴリ直していく。
  • 何をするにしても、身体が資本だ。数十年先を考えて身体をいたわるべきだ。
  • やりたくなくても、「これは僕の人生にとってとにかくやらなくちゃならないことなんだ」というマントラを唱える。

などなど。

「自伝的エッセイ」なんて売り文句を掲げらえると、ファンしか手を出してはいけない格調高いものを感じるけど、村上春樹がなんかしっくりこないという人にこそ、オススメの本だと思います。