AIは「心」を持てるのか

 

AIは「心」を持てるのか 脳に近いアーキテクチャ

AIは「心」を持てるのか 脳に近いアーキテクチャ

 

 

AlphaGoが人間に勝利をおさめたことが象徴するように、人工知能は人間の学習方法をマネできるようになった。人間の何百倍ものスピードで何万ものデータを経験し学ぶことのできるコンピュータなら、ボードゲームに限らず様々な分野で人間を超えることができるだろう。

けれど、コンピュータが人間の学習方法をマネし人間が考えつかなかった解答を出せるようになっても、どこか物足りない。結局のところ、コンピュータは与えられた規則にのっとって、やっていることを意識することなく作業をこなしているだけなのだ。人間のように、自分の仕事に悩んだり、成功を喜んだりする「心」はない。
人工知能を単なる道具としてみる場合、「心」なんて必要ないかもしれない。でも、それではなんだか味気ない。人工知能には鉄腕アトムドラえもんのような「心」を持って欲しいし、人工知能が人間を滅ぼすことになったとしても、少しくらい悩んで涙を流してほしい。
では、人工知能に「心」を持たせることは可能なのだろうか? そもそも人間の「心」とは何なのか? そんな疑問について考えるのがこの本。

 

本の守備範囲は広くて、そもそも人類になぜ「心」が生まれたのかを考えるために先史時代までさかのぼる。そこから「心」がどのように進化し、人類の生存に寄与したか、現在まで歴史を下り、「心」が果たす重要な役目は「直観」であると言う結論にいたる。定量化できないものや、答えを確定するにはデータの足りないものについて、論理を飛び越えて答えを出すのが「心」の機能だという。

対して人工知能、コンピュータについて考えてみると、従来型のコンピュータは答えが一意に定まる論理回路を使って構成されている。どんなAIであっても、単純な論理の集合体であることに違いはない。
論理を飛び越えて、論理的でない解を導き出すのが「心」なのだから、論理の積み重ねである従来型のコンピュータからは「心」は生まれないというのが、この本の回答(このあたり、ゲーデル不完全性定理が出てきて、面白くも難しい説明があったけれど、単純に言えばこういうことだと思う)。
「心」を持った知能を生み出すには、ニューロモーフィック・コンピュータなどの新しいアーキテクチャが必要だという。これらはすでに開発されている。今後、解き明かされていくであろう脳の構造と新しいアーキテクチャが結びつくことで、「心」を持つAIが生まれるはずだ。

歴史の講義からはじまって、数学的な議論、最新の技術動向まで、思考の展開が広くておもしろい本。その分、どこまで本気なのかわからない点はあるけれど。

以下は電気も脳科学人工知能も専門外の素人である自分の思いつき。
考えてみれば、電気回路は一次元的に電流の流れが定まっているけれど、化学物質の拡散で情報伝達をする脳回路は、三次元的な信号の広がりを見せるはず。信号伝達分子の濃度がある値を超えると脳神経は活性化する。信号分子が三次元的に拡散する脳回路では、近傍の複数のノードから信号が発信された場合、拡散波が重なりあう部分があるはずで、そこでは予期せず信号分子が閾値を超えることがあるのではなかろうか。そしてその予期せず活性化した部分が論理を超えた「直観」であり、「心」ではなかろうか。

 

AIは「心」を持てるのか 脳に近いアーキテクチャ

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