「天盆」という将棋のような盤戯によって政治の行く末が決まる国が舞台。平民として生まれた凡天は類い稀な天盆の才を発揮する。政治と結びついた天盆を通じて、貴族との権力闘争に巻き込まれながらも、凡天は天盆大会を勝ち上がっていく。
「支えてくださったみなさんのおかげです」と結果を残した人はよく言うけれど、聞いてる視聴者のうちどれだけの人が、その「支える」ということに犠牲がつきものであることを想像できるだろうか。
この本の主人公は間違いなく天才・凡天だけれど、凡天の視点はほとんどない。多くは凡天の家族の視点。支える側の物語なのである。
天盆大会を勝ち上がることで、政治に関わることができるようになる。凡天の才能が原因で、家族は権力闘争に巻き込まれる。平民である凡天を政治の中枢に入れてはなるものかと、貴族が凡天の父親を捕まえる。
凡天に負けるように言え、さもなくばお前を殺す、と父親は脅される。
負けたところで今までどおりの日々が続くだけ。
合理的に考えれば、負けたほうが父親にとってメリットが大きい。けれど父親は貴族の要求を拒否し、凡天が勝つことを願う。その願いが凡天の支えとなる。
そこに命とか金とか、明確に測定できる理由はない。どんな犠牲を払ってでも、支えるのが、愛するのが、家族だから。
平民の主人公が周囲の支えで勝ち進んでいく話の筋は、ことあるごとに「仲間!」と叫ぶ少年マンガにありそうなストーリー。自分は「仲間!」と言われると興ざめしてしまうタイプの人間なのですが、この本にはそう言ったアレルギーが出なかった。
なぜだろうと考えたとき、少年マンガで「仲間!」と言うとき、仲間を信じるしかない場合が多いと思うんですよ。主人公以外のみんなが倒されて、主人公の勝ちを信じるしか道がない。そんな信じることにメリットしかないところで、「仲間を信じる!」とか「仲間のために!」とか言われても胡散臭い。
でも現実には「信じる」ことには良い面と悪い面の両方が、ときには悪い面しかないときのほうが多いわけで、それでも悪い面までひっくるめて受け止めることが重要なのではないかと。この本はそのあたりがとてもキレイに描かれていると思います。
王城夕紀はこれを含めて3冊読んでどれもストライクなので、早く次が読みたい。