『イーロン・マスク』感想 | SFを現実に

決済サービスを皮切りに、宇宙開発企業と自動車製造業に手を出し成功し、今ではメディアも手中におさめる人間と聞いたら、どこかのSFか何かに出てくる現実離れした権力者のようだけれど、現実にはイーロン・マスクという男が存在するわけで、この本はそんな男の初の公式伝記。作者は『スティーブ・ジョブズ』のウォルター・アイザックソン。

上巻はPayPal、スペースX、テスラの話が中心。ビジョナリーという言葉では生やさしすぎる、猛烈で泥臭い働き方で会社を成長させてきたのがわかる。
下巻はTwitter(現X)の話が中心。上巻で語られた勢いをみると、現在進行形でTwitterの運営に苦慮しているのが納得できる。社員のためにカフェや昼寝のスペースを用意する労りの企業文化だったTwitterと、製品のためには工場の床で寝ることも厭わないようなCEOでは水と油なわけで、そう簡単にわかりあえるとは思えない。
かといって、自分について来ることができない社員を総入れ替えしようにも、こんな猛烈な働き方ができる人間なんて限られていて頭数が揃わないわけで、さすがにマスクの快進撃も続かないのではないだろうか。

テスラとかスペースXとか、SF好きには憧れるところもあるけれど、こんな猛烈な働き方に耐えられるかと問われたら、少なくとも私には無理である。

『プロジェクト・シン・エヴァンゲリオン』 感想 | プロジェクトマネジメントに関する稀有な本

『シン・エヴァンゲリオン』を実際にプロジェクトを進めた人間がプロジェクトマネジメントの観点で総括した稀有な本。
本文にも書かれているけれど、プロジェクト・マネジメントに関する本は世の中に数あれど、実際のところを総括した本はなかなかない。そんな中、興行収入100億円を達成した『シン・エヴァンゲリオン』についてのプロジェクトマネジメントを本が出たわけでこれは買い。


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のっけからプロジェクトを始めるにあたってシステムが古かったので刷新しましたという話がされていて、どこにでもある話だなと。設立から15年ちょっとの会社でもそうなるのだから、世の中の企業がどんな状態で動いているかを想像すると恐ろしい。
書いてある内容から『エヴァ』の制作会社であるカラーは綿密に考えて刷新を進めたように受けとったけど、これをできる会社が世の中にどれくらいいるのだろう。小規模な会社だと理解できている人間が揃わず、大企業だと影響範囲が大きすぎて刷新できないわけで。
このエピソードに限らずこの本を読み進めていくと、かなり細い道を通って『シン・エヴァ』というプロジェクトは成功したのだなと思う。
プロジェクトが成功するか否かは薄氷の上を進んだ結果で決まるものであり、どこかの偉い人の思いつきで始まり、成功することが絶対視されるようなプロジェクトは何か違うよな、と。

世の中にあるプロジェクトの中でもアニメは特に当たりハズレが大きいことは意識しているそうで、エヴァ関連のライセンス収入が不動産投資でアニメ制作以外の収入を稼ぐようにしていたからこそ、『シン・エヴァ』でリスクをとることできたという話も、なるほどな、と。
そりゃ死に物狂いで作品を作っているのだろうけれど、背に腹は代えられないわけだから、失敗してもなんとかなるという余裕がなければリスクを取れず、おもしろい作品も作れない。

『シン・エヴァンゲリオン』のプロジェクトマネジメントなんて、どういうスタンスで読めばいいのか迷いながら読み進めたけれど(そもそも「スケジュール」の観点だけなら前作から10年以上経っていて「失敗」に分類されるだろうし)、得るものはありおもしろい内容だった。

『世界でいちばん透きとおった物語』感想 | 紙の書籍でしかできないトリック

「王○のブランチ」で超話題!!なんて売り方をされると、自分は期待よりも警戒してしまうタイプなのですが、この作品は良い意味で期待を裏切られた。

物語としての感想は、作中の言葉を借りるなら「普通に面白かったけど凄みはなかった」。
凄みは物語の外、紙の文庫本というハードにあり、映像化なんて絶対にできないし、割と先進的なイメージのある新潮文庫NEXが電子書籍版を出していないのはそういうことかと。
このトリックを成立させるためにかかった労力は想像するだけで恐ろしい。これを思いついた作家は今までにも何人かいたかもしれないけれど、本当にやってのけたのはこの作品が初めてだろう。
これだけ大がかりなことをやっておいて、物語が普通に面白ければ、それは満点ですよ。

『半導体戦争』感想 | いかにして半導体が世界を動かすようになったのか

携帯電話から戦場に撃ち込まれるミサイルまで。   それなしでは成り立たず、コロナによるサプライチェーンの混乱によって一気に主役に躍り出た半導体の黎明期から現在までの歴史を描く。

どちらかというと政治寄りの解説。
これだけを鵜呑みにすると、とにかくカネをかければサムスンやTSMCが生まれるんだと勘違いしそうになるので、もうちょっと技術的な話があってもよかったかなと。

たしかユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』の中だったと思うけれど、現代の資源はソフト化していて、例えば100年前だったら原油が取れる地域を戦争で手に入れれば利益が見込めたが、現代ではたとえシリコンバレーを占拠したところで、侵略者にメリットはないという話があった。当時はなるほどと思ったけれど先端半導体の局在性を観るにそうでもないな。シリコンバレーを攻めたところでメリットは薄いけれど、台湾が攻められたらどうなるか。

台湾を手に入れたところで先端半導体を作れるようになるとは思わないけど、自由主義諸国の優位性は台湾で製造される先端半導体にあるわけで、それがないなら彼我の戦力差は縮まる。世界が半導体の製造技術の確保に躍起になるのが理解できる本。

『汝、星のごとく』感想 | 他人に左右されない自由を

2023年本屋大賞受賞作。
凪良ゆうという人は、ちょっと普通ではない人たちが感じる息の詰まるような閉塞感を描くのがうまいのだなあと再確認。悪意のある接し方はもちろんのこと、親切だって当人が感じている的から外れれば重しになる。

プロローグとエピローグは全く同じシーンを描いているにもかかわらず、第一印象でステレオタイプ的にしか見ることができないプロローグと、物語を伴走した上で読むエピローグでは読んだ印象が全く異なるという仕掛けも、物語のテーマを象徴するようで良い。

『コード・ブレーカー』感想 | 生命の神秘を人類の道具に

人類が手に入れたゲノム編集技術について、クリスパー・キャス9とそれを開発して2020年にノーベル賞を受賞したジェニファー・ダウドナを中心に据えたドキュメンタリー。著者は『スティーブ・ジョブズ』のウォルター・アイザックソン。

遺伝子を書きかえることができるクリスパーにつきまとう倫理の問題について、多くのページが割かれている。
クリスパーによるゲノム編集を子に行うことはどこまで倫理的に許されるのか、というのが話の中心なのだけれど、こういうとき、人間がすべてを見通していることが前提となっているように感じるのは気のせいだろうか。
倫理は時代が変われば変質していくものだと思うから、そこを議論しても仕方がないような。それよりも、良かれと思って取り除いたり付け足したりした遺伝子が、めぐり巡って数十年後、数世代後に取り返しのつかない事態を招くということのほうがありそうで怖いと思う。
人間に対して自由にゲノムを編集できるようになったら、冗長性を考えず、可能な限り効率的にある種の能力を持つ人間を生もうとするだろう。けれど、その「効率化」と「脆弱性」がトレードオフの関係にあることは、コロナの騒ぎの中でサプライチェーンの混乱という形で学んだことの1つではなかったか。
いくら冗長性を残したところで人間の想像力なんて限られているわけで、簡単に想定外の事態は起きる。

その「効率化」と「脆弱性」の関係を超越できて、生命なんていう分子の相互作用が何重にも重なり合った巨大システムを手のひらで転がすように制御できる超人類が、ゲノム編集の結果現れないとも限らないわけで、人類はこのまま目の前に現れたこの道を進むしかないのだろう。

『「いい会社」はどこにある?』感想 | となりの芝生は青くて赤い

会社と職業を選択するときの軸を12の条件に整理して解説。普段からニュースサイトを運営して、様々な会社の社員にインタビューしている著者が書いているので、四季報や業界地図にはない具体的で生々しい話が載っている。ここまで生々しいと、転職口コミサイトでも載せられないのではないか。
本文だけで800ページ以上あるけれど、脚注にはニュースサイトの記事へのリンクのQRコードがあり、読み切れないほどの情報量。

この本がターゲットにしているのは新卒の就活生だと思うけれど、転職を考えている人にも有用だし、何なら転職を考えていない人でも読んだらおもしろい。
本の中で上げられている名のある企業の話を読んで、そんな世界もあるのかとか、そういうのってうちの会社でもやっているけど当たり前じゃないのとか、調子よく見える会社でもどこかに歪みはあるのだなとか、他の会社の内情を見るのは楽しいし、参考になる。
隣の芝生は青くみえがちだけれど、赤い部分は所々にあって、それを考えたら今の環境で頑張ろうとも思えるのではないか。まあ、その環境に耐える決断をするのは、この本の趣旨とは違うだろうけど。

会社だけではなくて、公務員や職種にも触れられていて、手に職をつけて組織に縛られずに一生働ける仕事としてあげられているのが医者や看護師などの医療系の職。でも、本の中でも言われている通り、この道に進むには大学に入ってからの就活の段階では遅くて、高校の段階から進路として見据えてなければいけない。
自分なんてとりあえず良い成績をとっていけば何かしらの道は残っているでしょうと何の志もなくダラダラと大学に進んだ人間なので、知らず知らずのうちに道が閉ざされていたと思うと何だかもったいない気がする。かといって私は病気の症状を聞くと自分の身に当てはまっていないかと心配になって眠れなくなるタチの人間なので、そんな道があることを知っていたとて、医療の道を志すことはなかったと思うけど。
そう考えると、多くの人間が大学の後半の1年ぐらいで急ごしらえの志望動機を作って就職していく日本の職業教育って遅いし場当たり的だなと。
若者の可能性を潰さないためにも、この本は高校生くらいから読んでおいてもいいのかもしれない。この本に書かれている日本企業の閉塞感やブラックさを見て、希望を失ってもらっては困るけれど。

残業時間の訊き方

いろいろとためになる話はあったけれど、なるほどと思ったのは残業時間の訊き方。
自分自身、就職活動中の学生とふれあう機会がたびたびあって、そうなると残業時間を訊かれるもある。というより、必ず訊かれる。訊きたい気持ちはわかる。自分だって学生だったらいちばん気になる。
けれど、ストレートに「残業時間はどれくらいですか?」と訊かれても、こっちも会社が平均としてどれくらいの数字を出しているかは知っているのでそれが答えの中心になってくる。だって、職場によっても時期によっても、何なら人によっても波はあるわけで、だったら会社の平均時間を答えておこうという気になる。でもそれは四季報以上の情報ではないので、望まれている答えではないのだろうなといつも思っている。
代わりにこの本で言われているのは退社時間を訊けと言うもの。確かに、「いつもどれくらいの時間に退社されていますか?」と聞かれたら自分の本当の時間をポロッと答えてしまうだろう。
最近だとフレックスの職場も増えているだろうから出社時刻も合わせて訊くといい。インターンとかで職場に入り込んでいる状況なら訊かずとも周りを見ていれば出社時刻はわかる。
出社時刻と退社時刻がわかれば実質の残業時間はわかるわけで、それが会社発表の残業時間とかけ離れているなら何かを察することができる。
時間が乖離しているだけなら良いけど、残業代まで乖離していたらたまったものではないので、そのあたりはきちんと確認をとってほしい。

最後に

この本を読むと、どれだけ今の日本の会社に閉塞感が漂っているか、持続可能性がないかがわかってくる。
バラ色の未来を描いて就職するのもいいけれど、ネガティブな事情も知った上で、それでも入ってもいいと思える会社を見つけられたら、将来的には幸せなのではないか。
真っ青な芝生なんて、どこにもないのだから。

『老神介護』レビュー | 科学と資本主義の行き着く先は

『三体』の劉慈欣の短編集。
名前からして皮肉が効いてて良いですね。
表題作の『老人介護』もいいけれど、いちばんおもしろかったのはその後日譚になる『扶養人類』。

地球外文明がやってきて、地球を植民地化しようとする中で、殺し屋である主人公は大富豪たちから浮浪者の始末を頼まれる。大富豪にとっては浮浪者なんて気にもかけない存在であるはずなのになぜそんな依頼が?
どうやら地球外文明は人類を住民調査した上で、最低限度の生活を保証して植民地としようとしているらしい。最低限度の生活が浮浪者になってしまっては困るので、大富豪たちは慌てて事態を打開しようとしている。

大富豪たちの勝手さになんだかなあと思いつつ、浮浪者に合わせて最低限度の生活を見定めようとする地球外文明の行動は現実の社会保障を見ているようで笑えない。健康で文化的な最低限度の生活を保証するはずが、それで生活できているのだからいいじゃんと現状維持にとどまり、生活水準が上がらず、結果として下のみならず上の発展にもブレーキがかかる、みたいなそんな悲哀を感じる。

地球外文明たちが地球にやってきた経緯もおもしろい。彼らも浮浪者で、母星に居場所がなくなったから地球に来ざるを得なかった。
彼らの母星でも地球同様に資本主義が発達し、高等教育を受けられる者とそうでない者の間に格差が広がっていた。教育がその格差を決めているうちは、下層にも上層に上がるチャンスがあったのでまだ良かったけれど、そのうち脳にコンピュータを埋め込むことができるようになって、それが社会の階層を決定的に決めることになった。コンピュータを埋め込む費用を用意できるか、インストールするソフトウェアを買えるかは、完全に資本に支配され、持たざる層にはその資本を工面できるチャンスは永遠にやって来ない。そういったお金のかかる「超等教育」の有無により社会階層が決まることになり、貧富の差は大きく拡大していき、取り返しのつかないところまでいってしまったのだと。

高性能なコンピュータと、膨大なデータに寄り、人類を凌駕する人工知能が生まれるなんていうシンギュラリティは、私にはいまいちピンときていないのですが、この『扶養人類』で語られるようにあるテクノロジーが資本主義と絡み合って、文明社会が大きく変容するという変曲点は大いにあり得そうな気がする(というより、いままで何度も通ってきた道か)。
資本の集中は完全にピケティの『21世紀の資本』なのですが、『21世紀の資本』が刊行されたのは2013年なんですよね。それに対してこの『扶養人類』の初出は2005年。
劉慈欣の洞察に驚くとともに、15年以上前の小説に今さら驚いている自分を恥ずかしく思う次第。

『アポロ18号の殺人』レビュー

宇宙に詳しい人ならご存知のとおり、アポロ18号は現実には存在していない。 正確に言うならば、アポロ計画では20号まで予定されていたけれど、NASAの予算削減などのあおりを受けて、18号以降は実行されることがなかった。
だからこの小説は架空の「アポロ18号」を舞台にした歴史改変小説である。

アポロ17号が打ち上げられたのが1972年のことだから、小説の舞台は冷戦の真っ只中。アメリカとソ連の思惑が、アポロ18号を舞台に絡み合い、とてもおもしろいサスペンスに仕上がっている。
実在した人物や宇宙開発計画が登場して臨場感に一役買う。自分のように米ソの宇宙開発計画に詳しくなく、その時代を知らなくても、下巻の巻末にある実話部分の説明を読めば、当時の状況がよくわかる。これはさすがに創作だろうと思っていたものが、実は実際にあったと知って驚いた。
そして何より著者のクリス・ハドフィールドが実際に宇宙飛行士だったというのが、細部の臨場感を支えている。しかもスペースシャトルとソユーズの両方に乗っているから、まさにこの小説を書くための経歴と感じ。宇宙ステーションでの実験の動画がYouTubeに上がっていたり、TEDで講演していたりするので、もともとこういうエンタメが好きな人なのでしょう。

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とても映画映えしそうな内容なので、どこかで映画かしてくれないかと期待。

『5000日後の世界』レビュー

ビジョナリーと称されるケヴィン・ケリーのインタビューと寄稿集。
次の「5000日後」に対して彼が抱くビジョンと、彼が未来を言い当ててきた方法について。

ケヴィン・ケリーとは何者か

テック系雑誌のWIREDの創刊編集長で、1990年代に勝者総取りの法則、フリーミアム経済、収穫逓増の法則を提唱して、Googleなどの巨大IT企業の登場を予見した人物。
そういった未来を言い当てる能力もさることながら、本人がITビジネスに直接取り組んでひと山儲けた話はなくて、仙人のように沈思黙考して未来を言い当てる姿が人気の秘密ではなかろうか。 『<インターネット>の次に来るもの』という本を読んでなるほどと思ったのを覚えている。

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なぜ「5000日後」か

だいたい5000日(=約13年)でテクノロジーが成熟して、次の段階へと移ってきたよねというところから。
インターネットが広まり始めてから5000日後にSNSが登場し、今では社会のインフラに。さあ、次の5000日の主役となるテクノロジーは何か。

ケヴィン・ケリーの視点の持ち方

どうやって未来を言い当ててきたのかという問いに対してケヴィン・ケリーはこう答える。

テクノロジーに耳を傾け(listen to the technology)、それがまるで生き物であるかのように、「テクノロジーは何を望んでいるのか?」と問いかけることです。そしてテクノロジーが望んでいるものをどう助けようか、と注意を払うのです。 P18

このスタンスはケヴィン・ケリーのように客観的な立場にいないと難しい。実際に開発したり、ビジネスとして携わっている人間だと、テクノロジーを思い通りに動かして、強引にでも社会に溶け込ませないと仕事にならないのだから。

次の5000日後のテクノロジー

ミラーワールドとAR、そしてもちろんAIで5000日後の未来がやって来ると説く。
あとはクリーンミートと電気自動車とブロックチェーン。
人口は都市部に集中し、都市は都市ごとに専門化するという。シリコンバレーはIT、深圳はドローンといった具合に。
この本を読み込めば、SFの世界観のベースになりそうな、そんな1冊。