地下鉄道 | 「自由」を求める我々はそれがどんなものであるかを知らない

あらすじ

舞台は19世紀、奴隷制度が根付くアメリカ南部。農園の奴隷であるコーラは、その劣悪な環境から逃亡することを決意する。農園を抜け出し、「地下鉄道」に乗って、奴隷制度のない北部を目指すコーラ。その先に待ち受ける「自由」とは。

地下鉄道

地下鉄道

きっかけ

世界の名だたる賞を総なめにしているのが本作。
中でも気になったのは、ピュリッツァー賞とアーサー・C・クラーク賞を受賞していること。
ピュリッツァー賞といえば、ジャーナリズムをベースにした賞だけあって、いかに「リアル」を伝えたかを重視しているイメージ。
一方でアーサー・C・クラークと言えばSFの大家であって、彼の名を冠した賞は、いかに「虚構」を伝えたかを重視するイメージ。
いわば対極にある2つの賞を獲得する作品とはどんなものなのか。それだけでもこの本を読む理由になる。

感想

読んでみて、実際どうだったのかといったら、SF要素は薄い。
ピュリッツァーとクラークが8対2くらいの割合だった。
何が虚構なのかと言えば、題名の「地下鉄道」。19世紀のアメリカでは、南部から奴隷を助ける組織やルートを「地下鉄道」と呼んでいた。地下に鉄道が敷かれるようになるのはまだ先のことで、「地下鉄道」とは違法行為を隠すためのコードネーム。逃がす奴隷を「積み荷」、輸送を助けるのは「車掌」、奴隷を匿う場所は「駅」というふうに、日常生活にうまく紛れ込むような符牒を使っていた。
本作ではその「地下鉄道」を文字通り、地下に張り巡らされた逃亡奴隷のための鉄道と解釈して物語に盛り込んでいる。

ピュリッツァー要素は、虐げられる黒人奴隷の様子であり、主人公のコーラが行き着く先々での描写。
サウス・カロライナでは表面上、黒人が自由を謳歌しているように見えるけれど、実はそれが囲われた自由であると判明する。
ノース・カロライナでは、公然と黒人が暴力の餌食になっている。 奴隷州を脱したインディアナでは、黒人と黒人の間に対立が生まれている。

地下鉄道に乗ったコーラは、その先々で様々な自由の形や結果を見、経験するのである。そこに理想の自由は描かれない。 アメリカの地下に張り巡らされた地下鉄道は、乗車してもどこに辿りつくのかわからない。 たどり着いた先が理想郷であるとも限らない。 それは本物の自由とは何なのかを掴みきれていない現代のアレゴリー。

とまあ、けっこう内容の濃い本だとは思うのですが、訳文が悪いのか、すっと頭に入ってこない。こんなとき、原書を読みこなせるぐらいの英語力が欲しいなあと思うのです。

地下鉄道

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